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ホラー小説「つらら」
 つららにはね、冬の精霊が宿っているの。
 日を受けて落ちると消える、はかない冬の精霊。
 ねえ、兄ちゃん。あの大きなつららは兄ちゃんみたいだね。
その隣にある小さいのは、私のつららだよ――。
「江美」
 布団をはねのけて、僕は飛び起きた。まわりは暗い。夢と気づいた瞬間、どっと汗が吹き出てきた。
 なんで、江美の夢なんか。
 動悸を抑えながら、額の汗をぬぐう。
 統合失調症の妹が死んだのは、十数年も前のことだ。思い出すことも少なくなってずいぶん経つ。
「江美ってだれ」
 僕の隣で、冷めた声が言った。それで僕は沙織が泊まりに来ていることを思い出す。カーテン越しの外灯の光が、沙織の眼をぬらぬらと映し出した。僕は江美の大きな瞳を思い出して、視線を外した。
「……妹。なんか、夢に見たみたいだ」
「……そっか」
 疑惑の声は同情のものに変わった。僕ははねのけた布団を引き寄せて、沙織の肩にかける。ベッドから降りて、冷蔵庫を開けた。
 江美は事故死だった。
 屋根から落ちてきたつららに当たって死んだのだ。苦しむ間もなく、即死したそうだ。
 ミネラルウォーターのペットボトルを口飲みしながら、薄暗い部屋を見回す。
 今、僕は幸せだ。
 せまいワンルームの賃貸だけど、自分のことは全部自分でできる。地元から一緒に出てきた沙織ともうまくいっている。
 でも――いつも僕には、穴のようなものが開いていた。
 そのことを考えまいとして、江美のことは頭の中から追いやってきた。
 江美が死んだと聞いた日、僕はほっとしたのだった。これで自由になれる、ショックを受けた反面、自分のどこかがはっきりそう言ったのを僕は聞いた。
「なに考えてるの」
 沙織がじっと僕を見ている。僕はペットボトルをもう一度傾け、飲み干してから言った。
「もうずいぶん経つんだなぁって」
「そうだね。ちょうど、十六年」
「十五年だよ。命日は明日だ」
「時計見て。もう日付変わってる」
「……本当だ。沙織、よく覚えてるね」
 時計から沙織に視線を移すと、なぜか目をそらせた。何か隠し事があると、沙織はすぐ態度に出る。僕は微笑んで訊ねた。
「どうしたの? 言いたいことがあるなら、言った方がいいよ」
「聞きたい?」
「うん」
 僕はベッドサイドに腰掛ける。沙織は布団で胸元を押さえ、上半身を起こした。夜の光が僕へ向けられる眼を、ねっとりと照らし出している。僕はなぜかまた江美を思い出して、ペットボトルをもてあそぶ風を装って視線をはずした。
「……隠してたの。今まで。江美ちゃんが死んだのは私のせい」
「……知ってるよ」
「え?」
「あんな人気のない、公民館の裏手になんで江美がいたのか。沙織とケンカしたせいなんだろ? 君の大事にしてた……ノートか本に落書きをして、大喧嘩になった」
「そう。そう……だけど」
「沙織は悪くないよ。江美は何日もまえから、薬を飲んでなかったんだ。飲んだふりをして捨ててた。だから急性の症状が出て、君にひどいことをした。その後少し我に返ったんだろうね。落ち着きたくて人のいないところへ行ったんだと思う。みんな探してたから」
 江美の病気はひどかった。僕がものごころつくころには、もう症状が出ていた。
 薬を飲んでいる限り安定はしていたけど、よく飲むのを拒否した。副作用も多かったからだ。そんな時は幻覚や被害妄想に囚われて、周りに迷惑をかけた。ただ僕にだけはいつも素直だった。
 僕が江美の世話を全般に引き受けるようになったのは当然だろう。周囲はお世辞にも理解があったとは言いがたく、それは江美にも僕にもつらいことだった。僕の人生はおそらく、大半を江美のために使わねばならないだろう――兄としての責務と諦観めいた決意を感じ始めた矢先の出来事だった。
 江美がいれば沙織とこうしてここにいられることもなかった。ただ、僕の中にある穴のようなものが、さびしく隙間風を吹かせている。そう感じる。
「続きがあるの」
 自分の考えに入り込んでしまっていた僕は、沙織の言葉で引き戻された。沙織は僕の手の中にあるペットボトルをじっと見つめていた。
「なに?」
「その話には続きが。私、この話をするために今日ここへ来たの」
「……聞くよ」
「公民館の裏に呼び出したのは私だった。仲直りしようと思って。二人でいっしょにみんなのところへ戻ろうって言ったの。でも江美ちゃんはヘラヘラ笑っているだけだった。あの笑い方が私は大嫌いだった。馬鹿にされてるって、頭に血が上ったの。上を見たら、屋根からつららが伸びてた」
「……沙織」
「公民館の屋上へ登って、下を見下ろしたら江美ちゃんはまだそこにいたわ。私に勝ったと思ったのか、両手を広げてこっちを見てた。私は」
「いいよ。もういい」
「……まだ、終わりじゃないわ。それからよ。私の記憶に欠落が出来始めたの。どんどんその間隔が長くなって、医者に行った。解離性同一性障害と診断された」
「なんだい、それは」
「いわゆる多重人格。強い精神的ショックで発生するの。私のケースはかなり特殊で、私の中に江美ちゃんの人格が出来た。ただそれなら、あなたにもばれてるはずなんだけど、江美ちゃんの人格は私の人格を模倣したの。私の人格を表面に被って、周りにばれないようにした」
「ちょっと待って沙織。それって、今も?」
 にわかに信じがたい僕は、頭を整理する時間を設けようと質問した。沙織は暗い目でペットボトルを越えたどこかを見つめながら、首を横に振った。
「もう直ってる。数年前に収まったわ。でも……」
 急にその目がこちらへ向く。僕はなんとか受け止めた。まぶたが瞬くと、涙のしずくが転がり落ちた。
「でも、あなたに愛の告白した記憶は私にはない。あなたはあまり、昔のことを話す人じゃないからやってこれたけど――あなたと一緒にいた私は、ほとんどが江美ちゃんなの」
「…………」
「江美ちゃんはあなたが大好きだった。私はこう思ってるの。江美ちゃんの魂が私にとりついて、果たせなかった想いを遂げている。あなたとずっといたい、それがあの子の願いだった」
「やめてくれ!」
 僕は怒鳴った。自分で思っているよりも大きな声だった。
 握り締めたペットボトルが醜く形を変えている。どうしていいのかわからなかった。
「……ごめんなさい。でも誤解しないように言っておくと、殺意まではなかった。小さいつららを落として驚かせてやるつもりだったの。でもその隣に大きなつららがあって、そっちが落ちてしまった」
「……なぜ、今日なんだ?」
「命日だからよ。十六年目の。……時効が成立する」
 沙織は顔を覆って泣き崩れた。
「私、怖くて怖くて。罪に問われないってわかってからも安心できなくて、ずっと子供のころからトラウマになってた。この日が来るまであなたにも話す勇気が持てなかった。大切な妹を。ごめんなさい。ごめん――」
「いいんだ。僕も、君になら話せる」
 沙織の肩を抱き寄せる。落ち着くのを待って、言葉を続けた。
「江美のことは、重荷だったんだ。僕の自由のほとんどが江美のせいで潰された。僕は優しい兄貴で通ってたかもしれないけど、それは僕に勇気がなかったからだ。本当は江美のことなんか放り出して、自由になりたかった」
 沙織の肩の震えが止まった。僕はしっかりと抱きしめる。
「僕に自由をくれたのは、沙織。君なんだ。不謹慎だってわかってるけど、今振り返ってそう思う。だから泣かないで」
「――それ、本当?」
「ああ」
「本当なの、兄ちゃん」
 愕然として肩を突き放す。両目をいっぱいに見開いた沙織が、僕を見つめた。
 いや、僕はわかった。わかってしまった。
 ここにいるのは――江美だ。
「ずっと、だましてたの? 江美が重荷だったの?」
 僕は動けない。だらだらと汗だけが流れ落ち、干上がってしまった喉がはりついて声も出せない。
「それなら、あたし、消えてあげる。兄ちゃんの前から永遠に。……さよなら」
「江美!」
 抱きとめようとした体を突き放され、僕はベッドから転げ落ちた。ベランダの窓が開く音――。
「やめろ、江美! その体はお前のじゃない!」
「今、あたしもやっとわかったんだ」
 柵から身を乗り出して、江美が僕を振り返った。外灯の光は表情を陰に落として、僕には見えない。ただ体の輪郭だけが、あわく白く光っていた。
「あたしを殺したのは、兄ちゃんのつららだったんだね。死んで欲しかったんでしょう」
 つららにはね、冬の精霊が宿っているの。
 日を受けて落ちると消える、はかない冬の精霊。
 ねえ、兄ちゃん。あの大きなつららは兄ちゃんみたいだね。
その隣にある小さいのは、私のつららだよ――。
「江美!」
 柵の上からその姿は消えていた。江美の残した吐息のもやが、ゆっくりと夜空に溶けていく。階下から、潰れるような音が響き渡った。
 僕には全てわかった。
 あの時、江美は公民館のつららを見上げて、僕と話しているつもりだったんだ。沙織のことなんか忘れていた。僕のつららは――僕の本当の望みそのままに、江美を殺した。
 ふらふらとベランダへ出て、上を見上げると、小さなつららが出来ていた。
 僕は満面の笑みで笑った。
「江美のつららだ」
 あれが本当に江美なのか、多重人格の産物なのか、それはわからない。
 どちらでも同じことなのだ。
 僕は背伸びして手の中へ移すと、喉元へ切っ先を押し当てて、柵を乗り越えた。

                                ――おわり


コメント
この記事へのコメント
能書き
これは24のシーズン2だか3だかを見てて、統合失調症の娘が出てきたときにひらめきました。
なんで24でこんな話を思いつくのか謎ですが。
2008/08/07 (木) | URL | 七輪 #grGQ8zlQ[ 編集]
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