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朱ノ青 その1
木漏れ日が縁側に降りかかる。
 けだるい午後の澱んだ空気を、森からの澄んだ風が薙ぐように吹き払う。
 アゲハは縁側から素足を投げ出し、くるくると髪を指へ巻きつけては、ほどいていた。
 傍らには、いい歳なのに大の字で寝転んでいる妙齢の女性。
 はだけかかった胸元から、熟れた果実が零れ落ちそうになっている。
「……ユキさん、だらしないよ」
 くすりと笑って、アゲハは浴衣の襟をなおしてやる。
 寝こけているユキは、すこしうなったきり起きる気配もない。
「もうすぐ人が来るっていうのに、そんな格好じゃダメだよ」
 聞いてないのはわかっていたが、アゲハは上機嫌にそうつぶやいて、縁側から立ち上がった。
 長い髪が本体を追いかけるようについてくる。
 朱の浴衣はちょっと派手だが、一番気に入ってるものだ。
「これまでも、これからも、ずっとなにも変わらないと思っていたけど――」
 歩き始めたが、どこへ行こうという当てはない。
 ぶらりと、玄関へ向けて歩み始める。
「そんなことはないんだね。……たのしみだな」
 今日、これから、生まれてからずっと離れ離れだった双子の妹がやってくる。
 当分――もしかすると一生ここで住むことになるかもしれない。
 本人にとっては不幸なのだろうが、アゲハにとってはうれしかった。
 向かう先の玄関から物音がした。
 妹がやってきたのだ。
「いらっしゃい――」
 とたとたと床板を鳴らして、アゲハは駆け出していた。



 荷物を門戸の脇へ下ろさせると、ツバキはひとつ息を吸い込み、いった。
「ここまでで結構です。みなさん、ご苦労様でした」
 荷物持ちの男たちへ深々と頭を下げる。
 実家の従者たちだが、これほど深く頭を下げたことは、かつてなかっただろう。
 従者たちはとまどいを覚えたようだが、なにも言わずに礼を返し、来た道を戻っていった。
 これで実家との縁も、世俗からも切れたことになる。
 うっそうとした森。
 霧に覆われた谷。
 深山幽谷と表現するにふさわしい山奥にこの場所はある。
 ツバキは開け放たれている門をくぐり、奥の建物を見上げる。
 古いが頑丈そうな社だった。
 その脇に、庫裏(くり)である建物、納屋や厠と思しき小屋などが見える。
 斑鳩大社(いかるがたいしゃ)奥の院。
 山のふもとにあるたいそう広々と立派な本殿とはかけ離れた奥の院だ。
 登ってくるだけで、早朝出発したツバキは夕刻近くまでかかってしまった。
 神社としても長く機能しておらず、訪ねる人も少ないだろう。
「…………」
 これからツバキはここで暮らすことになる。
 両親の死と本家の没落で、家督を親戚に乗っ取られてしまったのが原因だった。
 ここに、双子の姉とその保護者がいるらしい。
 彼らの元で暮らしなさいと、そういうお達しだ。
 厄介払い、追放、言い方はいろいろあるが、家督を乗っ取られた家にいるわけにもいかず、かといってお姫様育ちのツバキは自活の術も知らず、結局のところ、諾々といわれるがままに従うしかなかった。
 ツバキは庫裏へ足を向ける。人がいるなら、おそらくそこだろう。
 不満がないわけではない。
 だが実際のところ、ツバキは家督に未練も執着もないのが本当だ。
 それに、そんなことに拘泥しては、姉の人生に申し訳が立たない。
 つい最近までツバキは姉の存在を知らなかった。
 秘されていたのだ。
 慣習で双子は忌み嫌われ、その妹ないし弟は打ち殺される運命だった。
 実家の慣習によると、先に出てきた方が妹、腹の中に残った方が姉となる。
 つまり、ツバキは世間的には妹だが、慣習によって姉と判断され、子として育てられることになった。
 姉は殺されるところを、この奥の院へ移り住むことになった巫女に保護され、いまも元気に暮らしているという。
 そこにどういう経緯があったのか、推し量ることもできないが、事情はおいおい聞けばいいだろう。
 いつの間にか、庫裏の玄関先へたどり着いていた。
「いらっしゃい!」
 突然、目の前で横開きの戸が開き、
「きゃあっ!」
 考え事に耽っていたツバキは悲鳴を上げてしまった。
「あ、ごめんごめん。びっくりさせちゃったね」
 舌を出して屈託なく笑ったのは、腰まで届くような長い髪が印象的な少女だった。
 すらりと背が高く、手足も長く伸びていて、およそツバキよりも頭ひとつ分上背がある。
 朱の浴衣をまとった身体つきはかなり平坦で、胸や腰や尻に起伏がやたら多いツバキの体型とはずいぶん違っていた。
 しかし顔立ちを見れば、同じ特徴を持つ部分をたくさん発見することが出来た。
 おっとりとした目元、すっと流れる鼻梁、物を噛めるのか不思議なような小さい顎――。
「あの、だいじょうぶ?」
 おずおずと訊かれて、ツバキははっと我に返った。
「ごめんなさい。だいじょうぶです。あの……お姉様?」
「お姉様……」
 少女は一瞬視線を宙へ彷徨わせると、若干の間の後に明るく返事を寄越した。
「うん。ボク、アゲハっていうんだ。キミは?」
「わたくしはツバキと申します。……これから、お世話になります」
 頭を下げる。
 慌てたようにアゲハはいった。
「そんな、ご丁寧に……。じゃなくて、はやく上がってよ。ボク、すごく楽しみにしてたんだ。双子の妹がいるなんて、ぜんぜん知らなかったしさ。そうそう、ユキさんを起こしてこないと」
 くるりときびすを返すと、ばたばたと足音も高く奥へ消えていってしまう。
 ツバキはすこし呆気に取られていた。
「元気のいいお方……」
 幼いころからきびしくしつけられたツバキは、廊下をあんな風に走るという概念がそもそも存在しない。
 足音はすぐに戻ってきて、
「ツバキちゃん、そんなところに突っ立ってないで上がってよ! そこの座敷にユキさんを連れてくるから」
 返事も待たずに再び消えていく。
「……わたくし、突っ立ってなどおりません」
 多少憮然としながらも、ツバキは履物を脱いで玄関の板の間へ腰を降ろした。
 土間には水を張った手桶と布が用意してあり、ツバキはそれを使って汚れた足を清めさせてもらう。
 丁寧にぬぐっていると、また座敷のほうからすっとんきょうな声が響いた。
「あれぇ~? いない」
「だから寝ぼけて夢でも見たんだろ。こんなに早くつくはずない」
「馬鹿にしないでよ! まだ突っ立ってるのかも」
 足音が戻ってくる。
「よっぽど突っ立っていることにしたいのですね」
 苦笑を洩らしてつぶやく。
 なんだか、アゲハの明るい態度を見ていたら、陰鬱な気持ちが全部吹っ飛んでしまった。
 泣いても笑っても今日からここで暮らすのだ。
 それなら、泣くよりも笑って過ごした方がいいに決まっている。
「あ。まだここにいたんだ」
 アゲハが息をはずませながらいった。暑いのに走り回ったからだ。
「ええ。慣れない山道だったので、足を冷やしていたのです」
「なら先に風呂へいったらいい」
 アゲハの後ろから現れた女性がいった。
 歳は三十路ほど――後ろでひとつ括りにしただけの髪や、だらしなく着崩した感じのする浴衣、ぞんざいな口調など、およそずぼらな第一印象だった。
 だがそれを補って有り余るほどの色気に溢れた女性だった。ツバキよりももう何段かふくらみを足した乳房や、首筋に降りかかる後れ毛など、同じ女から見てもぞくっと来そうなほどだ。
「あ、そうしたらいいよ。まずは疲れを癒してからだね」
 にこにことアゲハがいう。
「こら、アゲハ。お前も汗をかいてるぞ。いっしょに入って来い」
「え?」
「聞こえなかったのか。いっしょに入って来いといったんだ」
「ええっ!? でもボク――」
「いいですよ、アゲハさん。ごいっしょしましょう」
 ようするにこの女性は、ツバキとアゲハにふたりきりの時間をくれようというのだ。
 はじめて会う双子の姉妹だ。
 ぞんざいな風でいて、裏で気を利かす人間らしかった。
 ツバキは女性を見上げ、
「あの、あなたが――」
「ああ。申し遅れたね。私がこの奥の院の巫女ってことになってる、ユキだ。よろしくな、ツバキ」
「はい」
 にやりと笑うユキに、ツバキも笑顔を返す。
 この人とも、うまくやっていける気がした。
 想像していた巫女の人物像とはずいぶんかけ離れていたけれど――。
 なにせ十数年前、この奥の院へ隠棲する以前は、神懸りの巫女として名高く、神童として奉られていたと聞いている。いまだに崇拝する人も多い。
「……じゃあボク案内するよ」
 なぜかあきらめたようにアゲハはいって、土間へ降りてきた。
 湯殿は離れにあるようだ。
 手早く風呂釜に火を入れて、アゲハが湯浴みの準備をしてくれる。
 脱衣所でツバキは衣服を脱ぎ落とす。
 しなやかな、きめの細かい肌に滑らされるように、着ていた和服は布の堆積になっていく。
 湯文字をつけたまま入ろうか暫時迷い、どうせ女同士とそれも脱いで全裸になった。
 ユキほどではないものの、たっぷりとした乳房はツンと上向きの乳首を備えている。
 ツバキの髪はアゲハほど伸ばしてはおらず、肩口よりすこし先くらいまで。前髪は切りそろえていて、周りはよくお人形のようだといっていた。
 振り向くと、脱衣所の隅でまだアゲハは着物を着たまま、縮こまっている。
「どうしました?」
 訊ねると、ビクッと震えた。
「あの、ボク、や、やっぱりいいよ」
「あら。ひょっとして照れていらっしゃるの? だいじょうぶですよ、わたくしたちは姉妹なんですから。裸なんて恥ずかしくありません」
 自分より背の高いアゲハがおどおどしているようすは、なんだかとてもかわいらしく思える。
 ツバキは微笑みながら近寄って、アゲハの浴衣を脱がそうとした。
「だ、ダメ……」
 アゲハは壁ぎりぎりまで下がって、胸元を押さえている。
「もう、強情な方。えい!」
 すこしいじわるをするつもりで、ツバキは浴衣の帯を引き抜き、アゲハが動揺して手を放した隙に、その胸元を掻き開いた。
「――え?」
 逆に硬直したのはツバキのほうだった。
 ぺったんこな胸だとは思っていたが――それが原因で恥ずかしがっているのだと思っていたが、開いた浴衣の中にあった乳房は、ふくらみもなにもなく、真平らなのだった。
「え? あれ?」
 思わず、確認するようにぺたぺたと手で確かめてしまう。
 伝わってくる感触は、筋肉と骨の角ばった硬さだった。
「ツ、ツバキちゃん。あのね」
 アゲハも動揺しつくした感じで、それでもなんとか伝えようとしている。
「あの……ボク、実は男の子なんだ」
「はあ」
「だからその……いっしょにお風呂っていうのは……」
「ひっ!?」
 そこでツバキは自分が一糸まとわぬ裸体なことを思い出す。
 胸を手で覆い、床にしゃがみ込んで絶叫した。
「いやあああああぁぁぁぁぁっ!!」
「わあああ! ご、ごめんなさいっ!」
 アゲハは半裸のまま脱衣所を飛び出していく。
 どたばたと足音が遠ざかっていった後も、ツバキは触れたアゲハの胸板の感触を思い出し、しばらく呆然としていた。
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