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忘れ物
 友人の笹木とこうやって飲むのは一体いつぶりだろうか。一時は飲むどころか命さえ危うかったのが嘘の様だ。それもこれも、手術を担当してくれたこの男のおかげである。
 私はいつにもまして饒舌だった。酒もよく進む。
「いやあ、また教鞭を取れるまで回復するとは思わなかったよ。研究の方も前より意欲が沸いてきた。次の論文は注目しておいてくれたまえ」
「それは、よかったな」
 しかし笹木の方はあまりしゃべらず、顔色もよくないようだ。禿げた頭もいつもより毛が少ないように見える。
「どうした? 医者の不摂生なんて言わないでくれよ」
「いや、そういうわけじゃないんだが……ついさっき、忘れ物をしたことに気づいてね」
「なんだ、そんなことか」
 私はにやりと笑う。死線をくぐったおかげか、私にはものに動じない精神が培われていた。
「君、小さなことに囚われちゃいけない。人間本当に重要なのは、生きるか死ぬか。その二つだけだよ」
 テーブル越しに手を伸ばして肩を叩く。笹木は縮こまった体をさらに丸めた。
「いやしかしね、僕が忘れたのは君に関する物なんだよ」
「だったらよけいに気にしないでよろしい。私は君のおかげで生き延びた。君が何を気にする必要があると言うのか」
「そ、そうか……? 忘れた物を言っても、君は怒ったりしないか?」
「しないしない」
「本当か?」
 しつこく訊く笹木に、私はいらだちを覚え始めた。
 機嫌がよくて忘れていたが、笹木は昔からこうやって人の顔色ばかり伺う、卑屈な人物だった。私は焼酎を煽ると言った。
「わかった。天地神明にかけて怒らないと約束するから、言ってみてくれ。君もそれで楽になるだろう」
「ああよかった。じゃあ怒らずに聞いてくれよ」
 笹木の顔に安堵の微笑が広がる。禿げ頭を掻きながら言った。
「実は君の腹の中に、メスを一本置き忘れたんだ」
「なんだって――」
 私は驚いて立ち上がった。
 その瞬間――。

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