4
夜更け――。
眠れるはずもなく、ツバキは布団の上で何度も寝返りを打っていた。
姉だと思っていた人物が男だったこと。
その男が育ての親とまぐわい続けていること。
そしてそれを見て昂奮してしまった自分――。
冷静になるにつれ、涙が出そうなほど情けなくなっていた。
年頃の娘だし、そういうことに興味もある。
しかし、なにも他人の情事――それも兄とその母に当たる人間の、異常な交合で我を忘れてしまうことはないはずだ。
自分はおかしいのだろうか。
ひとりきりの部屋で、ツバキの考えはどんどん穿った方向へ進んでいく。
足音がして、襖の向こうから小さな声がいった。
「ツバキちゃん……起きてる?」
アゲハだった。
返事をせず、襖に背を向けたままツバキはじっとしている。
「……話したいことがあるんだ。入ってもいいかな」
どうやら、起きていることはわかっているようだ。
ツバキは細い声で告げた。
「……どうぞ」
襖を開けて、アゲハは布団のそばへ座ったようだった。
ツバキは背を向けたまま、見もしなかった。
「……軽蔑したよね。ボクがユキさんとあんなこと」
つらそうな、さびしそうな声だった。
その声色にすこし心を動かされ、ツバキは違和感のようなものに気がついた。
――女の子の方がよかったのに。
夕餉の時にそういったアゲハの声と、いまの口調がそっくりだったのだ。
女の子になりたいアゲハが、なぜ男としてユキと交わるのか。
自分のように、ただ快楽や情動に流されただけだろうか?
「……なにか理由があるんですか?」
なんとなくそう思ったツバキは尋ねていた。
案の定、アゲハはうなずいた。
「うん。長くなるけど聞いてくれるかな」
「……ええ」
「ユキさんはね、壊れてるんだ。これはボクじゃなくて、本人がよくいってることなんだけど。多淫症……っていう病気、それに近い症状を持ってて、ボクと睦み合わないと気が変になるんだって」
「そんなの……巫女ともあろうお方が」
「その巫女のせいなんだ。昔、本殿でユキさんが神懸りの巫女っていわれてたころのこと、知ってる?」
「そんなには。生まれる前でしたし……。ただ、神をその身に乗り移らせて神託を告げる、類まれな才能のお方とは聞いています」
「うん。実はその神懸りの状態は、薬で作られたものなんだ」
「えっ!?」
驚いたツバキは、思わず身を起こして、アゲハの方を凝視していた。
「いま……なんて?」
「ボクもユキさんから聞いただけなんだけど、強力な薬で神懸りの状態を作って、それで神託を出していたらしいよ。まだほんの子供だったユキさんを使って、本殿の神官たちがね」
「そんな……」
「そのうちユキさんは薬でぼろぼろになって、中毒症状でまともな巫女が演じられなくなった。それでこの奥の院へ隠されたんだ。治療の名目でね。一応、本当に医者や侍従の人も付けてくれて、離れや増築した部屋なんかは、そういう人が使ってた名残なんだよ」
「…………」
「ボクも小さかったころのこと、ぼんやりと覚えているけど、昔のユキさんは骸骨みたいに痩せてて、窪んだ目の中で眼光だけがするどくてさ。正直不気味だったよ。あ、でも中毒症状が出ていないときはやさしかったから、大好きだったのは本当」
「好きなんですね、ユキさんのことが」
「うん」
「…………」
「あ、それでね。何年もかけてユキさんは薬の影響を克服したんだ。お医者さんも奇跡だっていうくらい、綺麗に。それからしばらくは、ボクたち、普通の親子みたいに暮らしていけたんだけど……」
アゲハが言いよどむ。いわずとも、その先のことはなんとなく想像できた。
「……何年か前、突然お風呂場でユキさんが襲ってきてさ。それまでボク、自分は女だって思ってたんだけど、それはユキさんや、周りの人たちが症状を抑えるためについていた嘘だったんだよ。何度も何度も風呂場で犯されて、ボクは男だって教え込まれて――あれは、つらかったな。……ふふっ、ごめん。こんな話はいいよね」
「……いえ」
それだけ応えるのが精一杯だった。ツバキは絶句していた。
アゲハは遠くを見る目で続ける。
「それ以来、多淫症の症状が復活しちゃったんだ。それからずっと、ああやってユキさんとまぐわい続けてる。変だよね。自分のお母さんと、毎日毎日――」
「ごめんなさい」
反射的にツバキは謝っていた。そうしないと、アゲハが泣いてしまいそうに見えたからだ。
「え?」
「わたくし、事情も知らずにあなたたちを異常だと思っていました。謝りますわ」
「い、いや。ツバキちゃんが謝ることじゃないんだよ。わかってくれただけでもすごくうれしい」
あたふたというアゲハに、ツバキは微笑んだ。
おそらくアゲハが女装にこだわるのも、女の子だった方がいいというのも、そのせいなのだろう。
自分が女だったらユキの症状が復活することもなかった。
どこかでそうやって己を責めている部分があるに違いない。
「ふふ。お兄様はやさしいのですね」
「え? ……えっ!?」
気がつくと、不思議なくらい自然に、ツバキの方からアゲハを抱きしめていた。
アゲハの髪からは、驚くほど懐かしい香りが漂っていた。
「あ……」
身体中から力が抜ける。
それは心の底から安心できる匂いだった。
無意識のうちにずっと緊張していた筋肉がほぐれて、急激に眠気が沸いてきた。
「あの……お兄様、お願いが……」
「う、うん」
「よろしかったら、いっしょに……添い寝していただけ……ません……か」
いい終えたころには、アゲハにしなだれかかったまま、ツバキは寝息を立ててしまっていた。
しばらく驚いた顔でツバキを抱きとめていたアゲハは、やがてふっと笑うと、その身体を布団へ横たえた。
「いいよ、ツバキちゃん。今日はたいへんだったもんね」
髪を撫でるアゲハの表情は、妹を慈しむ兄のようにも、姉のようにも見えた。
夜更け――。
眠れるはずもなく、ツバキは布団の上で何度も寝返りを打っていた。
姉だと思っていた人物が男だったこと。
その男が育ての親とまぐわい続けていること。
そしてそれを見て昂奮してしまった自分――。
冷静になるにつれ、涙が出そうなほど情けなくなっていた。
年頃の娘だし、そういうことに興味もある。
しかし、なにも他人の情事――それも兄とその母に当たる人間の、異常な交合で我を忘れてしまうことはないはずだ。
自分はおかしいのだろうか。
ひとりきりの部屋で、ツバキの考えはどんどん穿った方向へ進んでいく。
足音がして、襖の向こうから小さな声がいった。
「ツバキちゃん……起きてる?」
アゲハだった。
返事をせず、襖に背を向けたままツバキはじっとしている。
「……話したいことがあるんだ。入ってもいいかな」
どうやら、起きていることはわかっているようだ。
ツバキは細い声で告げた。
「……どうぞ」
襖を開けて、アゲハは布団のそばへ座ったようだった。
ツバキは背を向けたまま、見もしなかった。
「……軽蔑したよね。ボクがユキさんとあんなこと」
つらそうな、さびしそうな声だった。
その声色にすこし心を動かされ、ツバキは違和感のようなものに気がついた。
――女の子の方がよかったのに。
夕餉の時にそういったアゲハの声と、いまの口調がそっくりだったのだ。
女の子になりたいアゲハが、なぜ男としてユキと交わるのか。
自分のように、ただ快楽や情動に流されただけだろうか?
「……なにか理由があるんですか?」
なんとなくそう思ったツバキは尋ねていた。
案の定、アゲハはうなずいた。
「うん。長くなるけど聞いてくれるかな」
「……ええ」
「ユキさんはね、壊れてるんだ。これはボクじゃなくて、本人がよくいってることなんだけど。多淫症……っていう病気、それに近い症状を持ってて、ボクと睦み合わないと気が変になるんだって」
「そんなの……巫女ともあろうお方が」
「その巫女のせいなんだ。昔、本殿でユキさんが神懸りの巫女っていわれてたころのこと、知ってる?」
「そんなには。生まれる前でしたし……。ただ、神をその身に乗り移らせて神託を告げる、類まれな才能のお方とは聞いています」
「うん。実はその神懸りの状態は、薬で作られたものなんだ」
「えっ!?」
驚いたツバキは、思わず身を起こして、アゲハの方を凝視していた。
「いま……なんて?」
「ボクもユキさんから聞いただけなんだけど、強力な薬で神懸りの状態を作って、それで神託を出していたらしいよ。まだほんの子供だったユキさんを使って、本殿の神官たちがね」
「そんな……」
「そのうちユキさんは薬でぼろぼろになって、中毒症状でまともな巫女が演じられなくなった。それでこの奥の院へ隠されたんだ。治療の名目でね。一応、本当に医者や侍従の人も付けてくれて、離れや増築した部屋なんかは、そういう人が使ってた名残なんだよ」
「…………」
「ボクも小さかったころのこと、ぼんやりと覚えているけど、昔のユキさんは骸骨みたいに痩せてて、窪んだ目の中で眼光だけがするどくてさ。正直不気味だったよ。あ、でも中毒症状が出ていないときはやさしかったから、大好きだったのは本当」
「好きなんですね、ユキさんのことが」
「うん」
「…………」
「あ、それでね。何年もかけてユキさんは薬の影響を克服したんだ。お医者さんも奇跡だっていうくらい、綺麗に。それからしばらくは、ボクたち、普通の親子みたいに暮らしていけたんだけど……」
アゲハが言いよどむ。いわずとも、その先のことはなんとなく想像できた。
「……何年か前、突然お風呂場でユキさんが襲ってきてさ。それまでボク、自分は女だって思ってたんだけど、それはユキさんや、周りの人たちが症状を抑えるためについていた嘘だったんだよ。何度も何度も風呂場で犯されて、ボクは男だって教え込まれて――あれは、つらかったな。……ふふっ、ごめん。こんな話はいいよね」
「……いえ」
それだけ応えるのが精一杯だった。ツバキは絶句していた。
アゲハは遠くを見る目で続ける。
「それ以来、多淫症の症状が復活しちゃったんだ。それからずっと、ああやってユキさんとまぐわい続けてる。変だよね。自分のお母さんと、毎日毎日――」
「ごめんなさい」
反射的にツバキは謝っていた。そうしないと、アゲハが泣いてしまいそうに見えたからだ。
「え?」
「わたくし、事情も知らずにあなたたちを異常だと思っていました。謝りますわ」
「い、いや。ツバキちゃんが謝ることじゃないんだよ。わかってくれただけでもすごくうれしい」
あたふたというアゲハに、ツバキは微笑んだ。
おそらくアゲハが女装にこだわるのも、女の子だった方がいいというのも、そのせいなのだろう。
自分が女だったらユキの症状が復活することもなかった。
どこかでそうやって己を責めている部分があるに違いない。
「ふふ。お兄様はやさしいのですね」
「え? ……えっ!?」
気がつくと、不思議なくらい自然に、ツバキの方からアゲハを抱きしめていた。
アゲハの髪からは、驚くほど懐かしい香りが漂っていた。
「あ……」
身体中から力が抜ける。
それは心の底から安心できる匂いだった。
無意識のうちにずっと緊張していた筋肉がほぐれて、急激に眠気が沸いてきた。
「あの……お兄様、お願いが……」
「う、うん」
「よろしかったら、いっしょに……添い寝していただけ……ません……か」
いい終えたころには、アゲハにしなだれかかったまま、ツバキは寝息を立ててしまっていた。
しばらく驚いた顔でツバキを抱きとめていたアゲハは、やがてふっと笑うと、その身体を布団へ横たえた。
「いいよ、ツバキちゃん。今日はたいへんだったもんね」
髪を撫でるアゲハの表情は、妹を慈しむ兄のようにも、姉のようにも見えた。
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