2ntブログ
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
その祈りには慈悲もなく 序章
■序章:聖都陥落
 少女は逃げていた。
 狭く息苦しい地下路にはまともな明かりもなく、一歩進むたびに反響する足音が不安を駆り立てる。それでも、止まることだけはできない。
 もうどれほどになるのか、延々走り続けた脚は限界を迎えていて、ろくに感覚が残っていない。肺からは酸素の代わりに激痛と高熱が吐き出され、わき腹の内側を疲労という名の悪魔が貪っている。腕を振ることも覚束ない、目を開けていることすら苦痛で、頭の奥には靄がかかりはじめていた。今、自分がどこを走っているのかも定かではない。
 それでも少女は逃げていた。
 亜麻色の長い髪を振り乱し、走りにくい儀式用の礼服を引きずって、懸命に逃げていた。
 捕まるわけにはいかなかった。犠牲になった人たちのためにも。
「はっ、はっ、はぁ……っ」
 喘ぎながら進む。長い隘路の奥に、外への光が見えた気がした。
「はっ、はあ……はあっ」
 風が吹いている。光が大きくなる。待ち伏せがいるかもしれない、と頭の片隅で誰かがつぶやいたが、仮にそうだとしたら、もう彼女には手の打ちようがない。
 神に祈りながら、少女は長い長い地下路の、最後の上り坂を駆け抜けた。
(加護を……!)
 果たして、待ち伏せはいなかった。
 地下路は全体が登り勾配になっており、神殿から山の中腹につながっている。木々でカモフラージュされた出口から顔を出した少女は、そのままフラフラと森をさまよった。この辺りは知っている。一際目立つ大きな常緑樹を目印に、彼女は街を一望できる丘まで歩み出た。
「ああ……!」
 何かを願ったわけではない。しかし、少女の中に残っていたかすかな光は、眼前の光景に完膚なきまでに打ち砕かれた。
 クレメンティア。
 聖王国が誇る五つの聖都のうち『慈悲』の名をつけられた街は、暴虐の炎に燃えていた。

◇◇◇

 一切の無駄を省きながら、なお荘厳であり華麗である、建築の芸術とでも言うべき神殿を、二人の男が大股で闊歩していた。
 一人はハーフメイルの甲冑姿で、腰に長剣をさしている。背が高く、精悍な顔つきをした男だった。もう一人はでっぷりと太った小男で、背丈は頭ひとつ分も低いのに、贅肉のせいで隣の男より余程大きく見える。甲冑は着ておらず、上位の聖職者が身につける、足首まで丈のある礼服を着用していた。
「殺すなよ!」
 甲冑姿が、神殿の周囲を駆け回る兵に声をかけた。
「若い女は特に、絶対に殺すな。自害させることも許すな。縄をかけて全員広場に集めておくんだ!」
 基本的に、聖都には城がない。巨大な神殿がその代わりを務めるのだ。聖都の執政は神殿にて行われ、司祭が施政の頂点に立つのである。
 すなわち、神殿に敵兵がいるという事態は、そのまま都の陥落を示していた。
「ほほっ、若い女ばかりを集めて、どうするのですかな」
 脂ぎった頬をタプタプと揺らして、太った小男が喜悦を隠そうともせずに言った。指示を中断した男は冷たい瞳でその顔を見下ろし、その煩悩を切り裂くような声で言った。
「神子が変装しているかもしれない。彼女はまだ殺すわけにいかない」
「ほ……なんだ、そういうことでしたか」
「何を想像しておいでかな、司祭殿は」
「いやなに、そのな。若い女と聞くと……ふほほっ、わからぬわけでもありますまい」
「……」
 侮蔑の表情をその顔にひらめかせると、甲冑を鳴らして男は歩を速める。慌てた様子で、贅肉の塊が後を追った。
「キャツル将軍、これからどこへ向かわれるのですかな」
「全軍の指揮を。無差別な略奪は好ましくない」
「ほほっ、紳士なことで」
「せっかく内通者のおかげで余計な血を流さずに済んだのだ、できれば死体は最小限におさえたい」
「なるほど、なるほど」
 戦争における戦闘行為の目的とは、制圧であり殲滅ではない。その意味で、歩を速める甲冑――キャツル将軍は優秀な人材だと言えた。
 しかし、と将軍は眼下の太い男に目を向ける。内通者、とあからさまな表現を使っても、この男は顔色ひとつ変えなかった。自身が当の裏切り者であるというのに。
「司祭殿は、なぜ手引きを?」
「なに、教義だなんだと女もロクに抱けないような国に興味はありませんな」
 そう言いはするが、ボドルザーというこの司祭がことあるごとに信者を慰みものにしてきたことを将軍は知っている。ともすれば蛮族ですら顔をしかめるような行為を、嬉々としてやってのける男だ。
 官僚が腐った国は死んだも同然だ。街から立ち上る黒煙と炎は、あるいは然るべき断罪だったのかもしれない。
「いや、それでは、この男が生きているのは間違いか」
「ほ?」
「なんでもない」
 軽く頭を振って、将軍は曲がり角を折れた。司祭がどすどすと鈍重な動きで後を追う。
 ――脇の壁が開いたのは、その瞬間だった。
「ボドルザァア――――っ!」
 大きく見開いた目に飛び込んできたのは、銀に光る長剣。刀身に映る肥満体をはっきりと確認できるほどの近距離。隠し扉から飛び出した刺客の一撃――豚よりも太った司祭に、かわせるはずもない。
「ひ、ひぃっ……」
 掠れた悲鳴と、鋼と鋼のぶつかり合う音とが同時だった。
「くっ……!」
「威勢がいいな、女」
 瞬間の判断で刃を解き放ったキャツル将軍の剣が、必殺の一撃を抑え込んでいた。刃に刻まれた国家の紋章が、互いの敵を食い殺そうとするかのように睨み合っている。
 片や聖杖と金獅子。
 片や有翼の螺旋蛇。
 決死の獅子を、蛇は悠々と絡めて放さない。腕力も技量も、刺客より将軍の方が上手のようだった。
「ボドルザー! 貴様、貴様恥ずかしくはないのか! このような暴挙に手を貸して!」
「は、はっ、はぇっ?」
 問われた方はまだ状況を把握していないらしい。呆然とするばかりか、腰が抜けたようで尻餅をつく有様だった。
 刺客は呆れたような顔をして、矛先を将軍に変えた。
「貴様が将か!」
「いかにも。ふん、いい腕だ。お前は何者だ」
「聖都クレメンティアは神子ソニアの聖騎士、アンヘリカだ! 覚えておけ!」
 聖騎士――その言葉に、将軍はわずかに目を眇めた。
 刃と刃を合わせたまま、眼前の女を観察する。歳の頃は十六、七といったところか。敵意に燃えて歪んだ表情が台無しにしているが、端正な顔立ちだ。普段ならば可愛らしい表情を見せるのだろう瞳も、ツンと尖った鼻梁も、やや荒れてはいるが形の良い唇も、その辺りを見回した程度では見つからない素材である。
 健康的に焼けた小麦色の肌に、動きを妨げることを嫌ったのだろう最小限の鎧をつけている。その胸元に刻まれているのは黄金鞘の紋章……聖騎士の証だ。
 防刃素材の戦闘着に包まれた体は引き締まっていて、不要な筋肉はついていない。鎧のせいでスタイルの良し悪しまでは知れないが、露出してる各所をつぶさに眺めれば、崩れた形をしていないだろうことは想像がつく。
 戦士としても女としても、良質の肉体だった。
「神子つきの騎士がこんなところで何をしている。神子はどこだ」
 その言葉に、騎士はわずかに微笑んだ。
「知らないね、ソニア様とははぐれたんだ、あんたらのせいで!」
「知らないか」
「知らないって言ってるだろ!」
「それは残念だ」
 言うと、将軍は切っ先をするりと引いた。合わせていた騎士の刃は相方を失って大きくバランスを崩す。彼女が心中で失敗を悟った時にはもう、金獅子の刻まれた剣は高く宙を舞っていた。
「訓練が足りないな。神子はどこにいる」
「知らないと、言っている!」
「嘘だな」
 冷厳と、将軍は断言した。アンヘリカの大きな目が、更に大きく見開かれる。
「本当に知らないなら、お前はまず神子を探しに走るべきだ。隠し扉の内側などでうろうろしているはずがなかろう。失敗したな、騎士。お前はそこの男よりも先に、私を狙うべきだった」
「……っ!」
「おい、そこの!」
 事態に気づいて集まりはじめていた兵に、将軍が声をかける。幾人かの兵が声に従って駆け寄った。
「この女を連れて行け。何をしてもいい、神子の居場所を吐かせるんだ」
「了解しました!」
「絶対に殺すな。できれば、傍目に知れる傷も少ない方がいい」
「はっ!」
 屈強な男に抱えられると、さしもの聖騎士も対抗しようがない。十代の小娘が、正規兵に力でかなう道理がなかった。
「くそっ、放せ! 殺してやる! 殺してやるぞ、お前たち!」
「神に仕える者が口にする言葉ではないな」
「くそおぉぁっ!」
 引きずられていく小さな体を見送って、将軍はまだへたりこんでいる司祭に目を向けた。どこまでも情けない男だ。
「一人で起きられるか」
 手を貸す気ははなからない。
「あ、ああ、ああ、いや、なんという、なんという野蛮で、道理を知らぬ女だ、全く、ま、まったく」
「……」
 侵略の手引きをした奴の言うことではない。将軍はかぶりを振って、歩を進めた。
「ま、待ってくれ」
「なにか?」
「その、将軍、頼みがあるのだ。私はあの女とは旧知の間柄で、弱点もよく知っている」
「……」
「尋問を是非、私にやらせてもらえないか。なあ? その方が、尋問に割く兵力も無駄にならんだろう」
 冷や汗もまだ引いていないというのに、司祭の瞳は情欲に熱されている。将軍は僅かに目を伏せて、
「好きにしたまえ」
 と、呆れ果てた声で了承を出した。
「おお、おお、ありがたい! そ、それでは、早速行かせてもらおう。都のことでわからぬことがあれば、ほれ、ティルの奴にでも尋ねてくれ!」
「そうしよう」
 もとより、司祭はほとんど何の役にも立たない。いなくなるのならば願ったりだ。
「な、何をしてもいいのだよな?」
 下卑た笑みを浮かべて言う司祭に冷たい一瞥だけをくれて、将軍は先を急いだ。戦争は、勝ってからが忙しい。将軍にとって、司祭も女も、今はまだ気にすべき段階にはなかった。
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
copyright © 2003-2008 アスティア地球連邦軍高速駆逐艦タケミカヅチ all rights reserved.
Powered by FC2 blog. Template by F.Koshiba.