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-chapter3- 生と死の錯綜
「くそっ、たれが!」
 ディラックはふらつく体を部屋に入れると、まだ整理していなかった荷物を片っ端からひっくり返していった。その間も耐え難い苦痛が全身を駆けめぐる。
 小さなスチール製のケースが転がり落ち、中のアンプルが散乱した。ディラックは震える手でそれを拾い上げ、無針注射器にセットして、二の腕に注射した。
 苦痛が潮のように引いていく。荒い息を整えようと軽く深呼吸をする。
――くるしいか
 どこからともなく声が聞こえる。
――じぶんをこわし そのだいしょうに すべてをこわすちからをえる
「うるせえ!」
 ディラックは青筋を立てて怒鳴った。
「おれは、おれはてめえに食われて終りゃしねえんだ!」
――はは……ははは……
――くるしめ 
「黙れ、こんちくしょうがっ!」
 空のトランクを掴み、力任せに壁へ叩きつける。派手な音を立てて、トランクの留め具が壊れた。
 薬の副作用で、急速な眠気がディラックに襲ってきた。心拍数が上がったため、薬の周りも早いようだ。ディラックはベッドによじ登ると、力尽きて枕に顔を埋めた。
「てめえは……一体、なんなんだ……」
 その呟きは眠りへと落る唇から、呪詛のように流れた。


      2


 走りに走った。
 手を引いているシリンの体力も限界のようだ。脱出艇はまだ遠い。仮にたどり着けても、そこに邪神がいないという保証もない。
「ディ、ディラック、もう、わたし……」
 ついにシリンが膝をついた。非常用の赤いランプが不気味に照らす廊下の中、いつ襲われるかわからない状況で走り続けるのは精神的にもつらい。
「背中につかまれ。体力が回復するまでおぶってやる」
 シリンがうなずき、背中におぶさった。両手が使えないが、このまま立ち往生するよりはましだ。ディラックは歩き始めた。
「どうして……こんなことに」
 ようやく状況が理解出来てきたのか、シリンがすすり泣き始めた。途中まで一緒だった人々も、邪神の群れに襲われるうちに次第に減り、まとまって行動する方が危険と判断したディラックは、シリンを連れて別ルートを移動している。
 友人が、仲間が、ことごとく邪神の餌食になった。
 あまり友人のできるタイプではないディラックにとって、その1人1人は大切な存在だった。男は殺され、女は犯され、ついには邪神へ取り込まれるのを目の当たりにしなければならなかった。
 今ディラックの心を燃やしているのは、シリンを無事に逃がすという使命と、復讐心。立ち向かうにはあまりにも強大な神への怒りだった。
「ディラック……何かしゃべって」
 考えに集中してしまっていたらしい。シリンが不安げな声を上げた。
「……ああ。すまない」
「何を考えてたのかわかりますよ」
「ほう?」
「邪神とどう戦うかでしょ」
「当たり、だな」
「私、あなたのそう言うところが好きです。どんな状況も、なんとかしてくれそうな気がするから」
「安心しろ。おれは必ず、お前を無事に脱出させてみせるよ」
「信じてます。だから、あなたも死なないで……」
 ディラックは足を止めた。
 前方から異様な気配が漂っている。もういやと言うほど味わった、邪神の放つ腐臭にも近い気配。どんなに鈍感な人間でも鳥肌が立つくらいそれは感じられる。
 ディラックはシリンを背から降ろした。ホルスターから銃を抜き、構えながら囁く。
「いいか、おれが奴を足止めする。お前はそっちの通路から逃げろ」
 横目で脇道を示す。シリンがうなずいた。
「よし行けっ!」
 ディラックは前方の闇へと駆けだした。闇に見えたそこには、黒々と邪神が遮っていた。うねる触手がディラックへと伸びる。それを全て打ち抜き、マガジンをかえようとした瞬間、銃は空中へと巻き上げられた。
 愕然と上を振り仰ぐと、通気口から伸びた触手が銃を奪っていた。ディラックは舌打ちすると、身を翻した。これ以上の交戦は無理だ。
「きゃーっ!」
 脇道の奥からシリンの悲鳴が聞こえた。
「シリン!」
 ディラックは叫ぶと、そこへ走り込んだ。
 シリンはその先に待ちかまえていた邪神に捕らえられ、空中へと巻き上げられていた。必死に暴れる手足は絡め取られ、叫び声を上げる口に触手が突き込まれる。幸いかどうか、相手の邪神は男神(おのかみ)のようだ。人間の女性に対しては、あのように媚液を流し込んで骨抜きにし、犯し尽くして精を奪う。すぐに殺されることはないが、ただそれだけのことだ。
「あ……」
 触手が口から抜かれたシリンは、早くも頬を蒸気させ、虚ろな目で喘いでいる。連邦の制服が音を立てて引き裂かれた。
「待ってろ、武器を持ってくる!」
 ディラックは言い残して来た道へと走り始めた。武器庫が近くにあったはずだ。
 その瞬間、横合いから伸びた触手がディラックの体を壁に叩きつけた。
 あまりの衝撃に、何が起きたか理解する間もなく気を失う。
 目が覚めたのはすぐのことだったが、ずいぶん長い時間に感じられた。頭が割れるように痛い。動こうにも体中がバラバラになりそうな激痛が走る。気を失っている間に吐いた血が床を塗らしていた。
 間違いなく致命傷だ。
 元来た道からも、向かっていた先からも、邪神が現れていた。完全に包囲されていたのだ。たった二人にもこれだけの邪神が迫ってくると言うことは、団体で逃げていた方はすでにやられてしまったのだろう。
「畜生……!」
 床に仰向けで転がったまま、上空で犯されるシリンを見ることしかできない。広げられた股の間には、何本もの触手が埋め込まれ、それが蠢くたびにシリンは快楽の絶叫を上げている。
 これがおれたちの最期なのか。怒りと無力感が、死の恐怖や苦痛を押しのける。
 闇が急速にディラックの視界を遮り始めた。シリンの絶叫の声質が変わった。赤い色が爆発する。降り注いだのは引き裂かれたシリンの血飛沫だった。それを理解した瞬間、ディラックの意識はブラックアウトした。


   3


「ずいぶんうなされてたわよ」
 体を起こすと、サクヤがのぞき込んでいた顔を引いた。一瞬昨日のクラのセリフが蘇る。
 自分の部屋、ベッドの上。悪夢の脂汗がじっとりと体を濡らしている。
 息を整え、そこでようやく、当たり前の疑問に気がついた。
「なんでお前がおれの部屋にいる?」
 サクヤはベッドサイドの椅子に腰掛けたまま、肩をすくめた。時刻は朝の起床時間の少し前だ。
「……一晩中いたのか?」
「徹夜は慣れてるから気にしないで」
「何故だ?」
「昨日のあの様子、ただごとじゃなかったから。赴任早々病欠は困ります。……それに」
「あの右目、か」
 サクヤはうなずいた。アンプルのはいったスチールケースを持ち上げる。
「悪いけど、見てしまったわ。強力な抗邪神剤。あなた、邪神に憑かれているの?」
 ディラックはサクヤから目を逸らし、右目をこすった。触手も何も生えていない。見えないわけでもない。ただ、使いたくない、見せなくない故に隠している右目。
「……わかった。負けたよ。だが今は勘弁してくれ。後で必ず話すと約束しよう」
「ディラック……あなた、このままじゃ死ぬわよ」
「ああ。おれはもうじき、神殺しの力に殺されるだろう」
「馬鹿!」
 突然サクヤの張り手が飛んだ。ディラックは無防備のまま打たれてよろめいた。
 サクヤは目に涙を溜め、怒りの形相で立ち上がった。ディラックは呆気にとられてそれを見上げる。
「死ぬなんて許さないから! もう誰も、私の前で死なせやしないから!」
 言い放つと、そのまま部屋を駆けだしていった。
 ディラックは無意識で頬を撫でながら呟いた。
「変な女だ……」
 サクヤはディラックに対して、恨みと恐怖心を持っていいはずだった。弱みを握られ、それを利用された相手は、服従するか反抗するかの必ずどちらかだ。だが、サクヤはディラックになんの恐怖も、恨みも無いように見えた。
 隙を見ていじめ抜いてやるつもりが、毒気を抜かれてしまった。
 薬と悪夢のせいで体調は最悪だったが、ディラックはベッドから起きあがった。今日中にも、八十禍津日神が存在すると予想されるポイントへ到着するはずだ。
見回すと散らかっていたはずの部屋が片づいている。唇を歪め、ディラックは床へ降り立った。


   4


「シトゥリくん、おはよ」
 まだ半分夢の中にいるシトゥリへ、柔らかい声とともに何かがのしかかってきた。
「お、おはようございます」
 声だけで誰だか判断し、シトゥリは寝ぼけた挨拶を返した。目を開けても周りは暗いままだ。布団を頭から被せられたらしい。
 もごもごやっているうちに、その人物は布団の中へ潜り込んできた。さすがに焦って言う。
「ちょ、ちょっとキリエさん」
「ふふ」
 布団のわずかな隙間から差し込んだ光が、銀色の髪を艶やかに浮かび上がらせる。シトゥリの下半身にのしかかったまま、キリエはいたずらっぽく笑った。
「こんな美人に起こされてうれしいでしょ」
「そ、そりゃうれしいですけど……うっ」
 キリエが動いた拍子に、豊満な胸がイチモツにこすりつけられた。すでに固く隆起しているのは、朝だからと言う理由だけではないだろう。
「若いって元気なのね~」
 よくわからないことを言って、キリエがわざと上下に動いた。シトゥリは抵抗する力を奪われて、頭を枕に落とした。
「どうしたんですか、急に。朝っぱらから……」
「あなたには朝っぱらでも、あたしには就寝前よ。夜勤だったんだから」
「あ、お疲れさまです」
「この様子だと全然抜いてないんでしょ? あたしが口でしてあげる」
 夜着がわりのジャージが脱がされていく。まだ頭はうまく回っていないが、キリエにしても異様なほどの積極的なアプローチだった。
 あれほど夜な夜な襲いかかってきたキリエも、半年前トウキが死んでから鬱ぎ込みがちで、ほとんどセックスはしていない。それが今朝はこの調子だ。きっと何かあったに違いない。
 問い正そうとシトゥが体を半分起こした瞬間、そのイチモツはぬめりを帯びた場所へ吸い込まれた。
布団の下半身の位置が激しく上下し、その中で行われている行為を、直接目で見るよりエロティックに伝えてくる。言おうとした言葉も忘れ、シトゥリはその膨らみへ手を当てた。
暗殺者として相手を寝取る技も学んでいるキリエの舌技は相当なものだ。
口の中にカリを含んで、舌全体でその周りをぐるぐるとなぞる。そのまま深くスロートし、ゆっくりと吸い上げながら引き抜いていく。
舌の動きも相まって、腰の辺りがびりびりするほどの快感が込み上げてきた。
「あ、あの、キリエさ……」
 くわえられてから1分も経ってないと言うのに、シトゥリは射精感が高まってくるのを感じて焦った。シトゥリの言葉など意に介さず、キリエはなおも激しくイチモツの愛撫を続ける。
 舐め、啜る音と、キリエの吐息が布団の下からくぐもって聞こえる。
 固くすぼめた舌でカリの周辺をつつき回し、口が離れたと思ったら、今度は裏筋から舐め上げられる。
 思わず背筋から鳥肌が立った。
「あっ、はっ」
 シトゥリは知らず上を向いて喘ぎを漏らしていた。我慢しようにももう限界が近い。キリエの唇がカリの裏側に吸い付いて舐め始めたとき、猛烈な射精感が爆発した。
「キリエさん、で、出るっ!」
 素早くキリエの口が、射精の欲求に震える先端をくわえた。その瞬間、シトゥリはキリエの口の中へ白濁した欲望の塊を吐き出した。
 何度も何度も射精は続く。自分で思っていたより溜まっていたのか、キリエの舌技がうまかったのか、おそらくはその両方だろうが、ずいぶん長い間快楽の絶頂は続いた。
 ようやくそれが終わりを告げたとき、シトゥリは一瞬目の前が暗くなってベッドに倒れ込んだ。寝起きもあってか、下半身に血液が集まりすぎて軽い貧血を起こしたらしい。
 キリエが笑いながらシトゥリの顔の位置まで頭を持ってきた。
「ごちそうさま」
 ふと、その顔が真剣なものに変わる。薄目で見るシトゥリの顔を、なぞるように見つめ、言った。
「……シトゥリくん、あなた、昨日の夜……」
「……はい?」
「……なんでもない。もう起きなきゃいけないでしょ? あたし、眠いからここで寝させて」
「え、ええ。いいですけど」
 シトゥリはまだふらふらする頭を振って、体を起こした。確かにこのままでは遅刻だ。シトゥリは出来るだけ急いで着替えはじめた。
 荷物をチェックし、ブリッジへ向かおうとしたシトゥリは、眠ったと思ったキリエの声に止められた。
「ねえ……昨日の夜、3階で何をやってたの?」
 ベッドの方を振り向いて、答える。
「昨日の夜ですか? 確か、荷物を取ってきてくれって頼まれた……あれ?」
 記憶が曖昧だ。深く考えようとすると、急に頭にもやがかかったようになる。寝起きでまだ頭が冴えていないのだろうか。
「階段を降りてくるところで、あたしと会ったのは覚えてるかしら」
「いえ……会ったような会ってないような……」
「そのとき、あたしになんて声かけたか――ううん、なんでもない。忘れて」
 ベッドの中のキリエが、ぎゅっとシーツにくるまった。シトゥリは言った。
「変なやつだな、キリエ」
 愕然とキリエが布団をはねのけ、身を起こした。シトゥリはその顔に、にやりとした笑みを向け、きびすを返して戸口を出た。
「あなた、一体誰なの! シトゥリ――いいえ、……」
 キリエの叫びは、閉まっていく空気圧搾扉に遮られた。


   5


「おはよう、シトゥリ」
 廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。振り向くと、部屋からディラックが出てきたところだった。
「おはようございます」
 思わずまじまじとディラックの顔を見つめてしまう。べっとりと墨をはいたように、顔に陰が出来ていた。
「どうした? おれの顔になんかついてるか?」
「いえ……あの、体調、大丈夫ですか?」
 言われて、ディラックが自分の頬を撫でた。しばらく考えてから答える。
「最近夢見が悪くてな。すまん、シャワーでも浴びてからブリッジに行くよ。艦長には少し遅れると伝えておいてくれ」
「わかりました。調子悪かったら休んでてくださいね」
「おれもヤキがまわったもんだな」
 笑いながら、今度はディラックがシトゥリの顔をじっと見つめる。
「――お前は、昨日の夜のことを覚えているのか?」
「昨日の夜?」
 そう言えば、キリエにも何か言われた気がする。考えようとしても頭に霞がかかってよくわからない。顔でも洗ってちゃんと目を覚ました方がいいのだろうか。
「いえ、何も……」
「そうか」
 それ以上何も言わず、ディラックは再び自室に入っていった。
シトゥリは首をひねりつつ、ブリッジへ向かう。
タケミカヅチの艦内は、新鋭艦らしく様々な環境が揃っている。居住区はたっぷり取ってあるし、クルー達の休憩所や、共同の浴場まであるのだ。それでも他の艦に比べて遜色ない出力を維持できるのは、一重に言霊機関によって最大限の自動化されているからだ。目に見えない『言霊』にあらゆる機械的作業を肩代わりさせ、その分省スペース高効率を実現している。タケミカヅチへ実験的に採用されたこの機関は、成功を収めたと言っていいだろう。これからの宇宙船のスタンダードな形になってくるはずだ。
居住区からまっすぐのびる廊下の突き当たりがブリッジだ。ここで艦の統制に関する全てを行う。クルー達の仕事場でもある。
「おはようございます」
 入り口から挨拶すると、操舵席に座っているクラが振り向いた。
「おはよう」
「おは……ございまふ」
 夢の中にいるような返事を返したのはシリンだ。目が半分閉じている。朝には極端に弱いのだが、この状態で艦の制御盤をいじるのは勘弁して欲しい。
 シトゥリは自分のコンソールの席へついた。ディラックが遅れることを伝えなければいけないことを思い出し、艦長席を振り返ったが、サクヤの姿はない。
「あれ、サクヤさんは?」
「まだよ。珍しいわね」
 クラが答えた。
「ディラックさんも少し遅れるそうです。体調悪いみたいですね」
「そう……大丈夫かしら」
「クラさんはディラックさんと知り合いなんですよね?」
「ええ。短大で一緒に操舵技術を学んだわ。最近は会う機会が少なかったけど、長い付き合いよ」
「そうなんですか」
 サクヤが現れないと仕事は始まらない。まだ自分のことをしていてもいいだろう。シトゥリは引き出しからディスクを取り出すと、コンソールに差し込んだ。
 保存してあるデータを呼び出すと、難解な言霊式が画面を埋めた。シトゥリはしばらくそれを見つめ、数行の文字列を追加すると、ネットを開いた。
 発信元を特定されるわけにはいかない。複雑な経路を辿って目的のサイトにアクセスする。そのサイトの情報掲示板へ先程の言霊式を書き込み、アクセスを切る。
 シトゥリはディスクを抜いて目頭をもんだ。
「あ」
 クラが声を上げた。
「また、例のサイトに書き込みがあったわ。イモータルの名前で。……これは、暗号鍵合成と分解の言霊式? 応用すれば、暗号鍵方式のメールも読めるかもしれない」
 元情報部だけあって、クラは言霊式に関する知識もかなりあるようだ。ハッカーサイトのチェックも怠っていないらしい。
「それだけじゃないですよ」
 シトゥリは、薄い笑みを浮かべて言った。
「応用の先にあるのは常に基本です。これを利用すれば、連邦軍の機密文章も覗き見することが可能だ。……もちろん、かなりの改造をくわえないとなりませんがね」
 クラが目を丸くしてこちらを見つめている。何度かぱくぱくと口を動かした後、ようやく言葉を発した。
「あなた……誰?」
「え? 僕がどうかしましたか?」
 クラが目をこする。軽く頭を振って、苦笑した。
「私まだ目が覚めてないみたい。一瞬シトゥリくんがジークに見えちゃったわ」
「眠いときは寝るのが一番ですよ~」
 シリンが枕を抱えてコンソールに突っ伏した。


 6


 ディラックは洗面台の鏡に映る自分の顔を見つめた。
 確かにひどい顔だ。目の下にはごっそりと肉が抜け落ちたようなくぼみが出来ている。薬を使うのが遅かった分、昨日の発作は体力をずいぶん削ってしまったようだ。
「……時間がない」
 もう余命は数ヶ月を切っているだろう。もちろん安静にしていて数ヶ月、今までと同じように戦いに身を投じれば、いつ死んでもおかしくないはずだ。
 命に未練はない。
 だが、まだ成さねばならぬことは、残された時間に比べて多すぎた。強大な邪神である八十禍津日神と戦うことのできるチャンスが巡ってきたとはいえ、殺された仲間たちの仇を討つにはまだまだ足りない。
「所詮人間1人に出来る限界、か」
 ポケットからコンパクトを取り出し、ファンデーションで隈になっている部分を隠す。もう慣れた作業だ。手早く終わらせると、ディラックは今度こそブリッジへ向かった。
「シリン、座標割り出しを急いで!」
 ブリッジからは威勢のいいサクヤの声が聞こえる。普段はおっとりとした雰囲気のサクヤだが、やはり天賦の才を持つと誰もが認めるだけあって、艦長としての威厳は相当な物だ。
「遅れてすまない」
 入り口で軽く詫び、自分の席――副操舵席へ向かう。ブリッジには何やらあわただしい空気が漂っていた。席について、隣のクラへ囁く。
「状況は?」
「目標の予測地点までもう少しなんだけど、どこを探しても八十禍津日神が居ないのよ。と言っても高天原でどのような姿を維持しているのかは全く不明なんだけど――」
「エネルギー反応もないのはおかしい、ってわけか」
「おそらく、人間に例えるなら仮死状態にあって、検知できないんじゃないかしら」
 その時、シリンが諦め気味の声で言った。
「ダメです、割り出した座標には何も存在しませんでした」
「どうするサクヤ? 八方手が尽きたわよ」
 クラが操縦席から艦長席を振り返った。サクヤは首を振った。
「まだ手は尽きてないわよ。目標を視認で捜索します」
「げ」
「予測地点を中心に半径200の球を設定。自動航行で周回しながら望遠で捜索します。怪しい物を見たら即報告!」
「めんどくさ~」
 クラがぼやきながら操縦席のパネルを叩く。ディラックはため息をついて背もたれにもたれかかった。距離200を移動するだけで数十分はかかる。円周を移動しつつ捜索となると、丸一日がかりの作業になりそうだ。
 八十禍津日神。その生まれは遙か神話の古代に遡る。イザナギが黄泉から戻り、その穢れを禊した時に誕生したとされるのが、八十禍津日神だ。その禊の最後に生まれたのがいわゆる三貴子――天照、月読、須佐之男である。つまり、この高天原の主神とされる天照よりも早く生まれた、非常に力ある神なのだ。
 黄泉の穢れそのものとも言えるこの邪神が地上へ降って落ちたりすれば、一体どうなるのか。タケミカヅチによって手酷いダメージを負い、現在高天原で仮死状態にあると見られるが、その存在だけで世界の因果律に大きな狂いをもたらすのは必須だろう。それは人類の滅亡クラスの歪みかもしれないのだ。
 ディラックは背もたれにもたれかかったまま、スクリーンに映し出される宇宙を見つめた。
 天の宇宙である高天原も、地下の宇宙である黄泉も、一見して何も変わりがない。無限の広さと質量を兼ね備え、一説によると高天原は『開いた』宇宙で、黄泉は『閉じた』宇宙であると言うが、よく意味はわからなかった。こうやって両者は均衡を取っており、それは万物において恒久に続くはずだったのだ。
「何でだと思う?」
「ん?」
 ディラックはほとんど独り言に近い調子で、クラに訊いた。このひと言では質問になっていない。聞き返したクラに、どうでもいいことだと思いつつ、続けた。
「なぜ近年になって黄泉の力が増大したのか、ってことさ。人類が馬鹿げた同士討ちをやめて、世界連邦化された矢先のできごとだ。以来、世界は下り坂の先を見るような退廃的な空気が漂っている」
「何を、今さら」
 クラが眉をひそめた。ディラックのやる気のない態度がカンに触ったのだろうか。目を閉じて首を振った。ポニーテールがそれに合わせて跳ねる。
「私には通説以上のことは言えないけど。イザナミの力が増大したことが、すべての原因である、ってことね。死の神イザナミ。それをなんとか普通に戻すことが、連邦軍の使命なんじゃない」
「……漠然としてるよな」
 ディラックは腕を頭の後ろで組んだ。
「そもそも、力ってのはなんだ。イザナミの何が強まって、黄泉が活性化した。黄泉津神である邪神を倒すことは、本当に生と死の因果律を矯正することに繋がっているのか。――おれ達は、よくもこんな曖昧な事象に命を賭けられるもんだな」
「目的がないと、つらいでしょうね。サクヤも悩んでるみたい」
「不思議なのは、あいつだな」
 ディラックはちらりと後ろを振り返って、熱心にスクリーンを眺めているシトゥリに視線を当てた。なぜあんな少年が疑問を持たずに戦い続けられるのかと言う意味だったのだが、クラは別の意味で取ったようだ。
「そうね。不思議な子。あんなヤサ男なのに、驚くほど強い意志を持ってるわ。今じゃ誰も子供扱いしてないわね。あなたは知らないかもしれないけど、神の剣を振るって八十禍津日神を高天原へ飛ばしたのは、シトゥリくんなの。その意味では、神殺しのあなたの力と似ているのかもね」
「そうか……。大葉刈、だったな。いずれあいつも生身でそれが振るえるようになるのかもしれん」
 もう1度ディラックはシトゥリを振り返った。
「ん? これって」
 クラが手元のレーダーを見つめた。
「どうした?」
「航行レーダーに障害物が。シリンちゃん、分析お願い!」
「わかりました」
 シリンが猛烈な勢いでパネルに指を走らせる。普段のネジが1本抜けたような動きからは想像ができない。
「この、気配」
 シトゥリが呟く声が聞こえた。顔をしかめて、腕を抱く。
「僕にはわかりますよ。八十禍津日神だ。間違いないです」
「気配、か。レーダーより正確だと面白いな」
 ディラックは小さく笑った。シトゥリの言うことはおそらく真実だろう。現人神は時に人間離れした超感覚を発揮する。
「障害物確認。最大望遠で拡大します」
 シリンの声と共に、スクリーンに映し出されたのは、銀色のラグビーボールのような形をした、巨大な船だった。
 思わずディラックを除く全員が息を呑む。クラがわずかに震える唇で、言った。
「教団の母船……。そうか、神の剣は母船ごと吹き飛ばしたわけね。あの中に、八十禍津日神がいる」
 重い沈黙がブリッジを支配した。指示を出すべきサクヤまで、思案顔でじっとスクリーンを見つめたままだ。まだ甘いな、と心の中で呟き、ディラックは艦長席へ声をかけた。
「どうするんだ? サクヤ」
「……私たちの任務は、教団が企むと言う八十禍津日神召喚の阻止。教団がどのような手段であれを地上に呼ぶつもりか分からない以上――」
「破壊すべし、か。面白いじゃない」
 好戦的なキリエは、口元に薄い笑みを浮かべている。ディラックは立ち上がって、ブリッジを見渡した。
「八十禍津日神を発見した場合の命令権限は、サクヤではなくおれが持っている。任せてもよかったが、まだ迷いがあるようじゃダメだな。以後おれの指示に従え」
「…………」
 サクヤが苦悩を額に刻んだまま、首を垂れた。ディラックは続ける。
「3人で潜入する。艦に残る者はバックアップと脱出準備だ。潜入メンバーはおれ、道案内にクラ、あとは――」
 ディラックは小柄な少年に鋭い目を向けた。
「シトゥリ、お前だ。すぐ準備をしろ」
「待ってよ! なんでシトゥリくんが」
 叫んで立ち上がったキリエに、鋭いままの視線を当てる。言葉を飲み込んで、キリエは黙った。
「安心しろ。現人神はお前たちが思うほど、ヤワじゃない。行くぞ、接近・接舷後内部をスキャンし、乗り込む。クラ、艦の接舷が終わったら、すぐ搭乗ハッチへ来い。おれとシトゥリは先に行く」
 言い放つと、ディラックは席を離れた。深い沈黙を背に、ブリッジを後にする。おずおずと立ち上がったシトゥリが、後からついてくるのがわかった。
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