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-chapter10- 神の剣
『おれの最後の力を君に託すが、それで君が安全とは限らない』
 心の奥深く、感情よりもずっと下のラインで、シトゥリとトウキは会話していた。
『すまない。だが、八十禍津日神を止められるのは、君だけだ』
『謝らないでください。僕はうれしいんです。やっと僕にできることがあるってわかったんですから』
『……そうか。ならば頼む。ついでに、サクヤもな。勝負は君の勝ちだ』
『負けですよ。死んじゃった人に勝てるわけないじゃないですか』
『ふっ……。だと、いいがな。さあ時間が無い。急いでそこから戻るんだ』
『はい!……あれ?』
『あの――トウキさん』
『戻ろうにも、僕、戻れないんですけど』
『えーっと、どうすれば……』
『うわあっ!』
 シトゥリは吸い出される感覚に焦った。
 気を失ったシトゥリの肉体を跨いで、1人のアシリアが股間の上で腰を振っていた。
「ああ、出てきましたわ。魂が」
「今度はわたくしの膜でしっかり包んでありますから」
「もう逃げられません……」
「ああ、入ってくる」
「気持ちいい……」
「気持ちいい……」
 恍惚と股間の上のアシリアが天を向き、他のアシリアも同じ表情でそれぞれが絡み合った。それが突如、びくんっ、と震えた。
「何?」
「どうして、これは……」
「膜が破れる」
「ああ、やめてください。そんなことをしたら、わたくしの魂の行き場が」
「うう、いやあっ」
「ああああああっ!」
「ダメ、押さえ切れません!わたくし、わたくしが――」
 ばったりと、股間の上のアシリアが体を伏せた。同時に他の全てのアシリアも地に伏せ、そして地面と同化するようにして消えていく。
 やがて、1人残ったアシリアは、シトゥリの体の上で身を起こした。
「えーっと、ここは一体……僕は……」
 そして自分の体と、その下に横たわるシトゥリの体をしげしげと眺め、1分ほど思案した。その上で、ようやく現実を認めたか、驚きの声を上げる。
「うわっ!ど、どうして僕がアシリアさんに!?」
 股間の中の異物感に気付き、シトゥリ=アシリアは身を離した。ずるっとイチモツが膣から抜ける感覚に、う、と呻く。女性が感じると思わず声が出る気持ちが分かった気がした。
「……あなたの魂がわたくしを追い出したのですわ」
 シトゥリが目を開け、アシリアの口調で言った。どこかあきらめの口調だ。
「あなたの魂は、現人神である以前に、わたくしよりも強かったのです。それに負けてしまいました。追い出されたわたくしは、あなたの肉体に入るしかありませんでした」
「ど、どうやったら元に戻れるんですか?」
「とりあえずはこのままです。さあ、あなたは船に帰らなくてはならないのでしょう?服を着て、タケミカヅチへ向かいましょう」
「は、はい」
 服は部屋の隅に落ちていた。思わず艦隊の制服を手に取ったが、こちらではない。動揺を隠すようにそれをアシリアに渡し、シトゥリは巫女の装束を手に取ったが、まったくどうやって着ていいのか分からなかった。一枚の布を巻きつけ、肩の部分で止める感じになっていると言うことだけはかろうじて分かる。
「男の人の服装って、思ったより窮屈ですのね」
 見ると、すでにアシリアはシャツのボタンを留めようとしているところだった。左右逆だから少し手間取っているようだが、それだけだ。シトゥリは情けなく言った。
「あの、これってどうやって着れば……」
「貸してください。まさか、自分の体に衣装を着せることになるとは思いませんでしたわ」
 ぐるぐると回すようにして手早くアシリアはシトゥリに服を着せ付けた。
 ジャケットを羽織り、アシリアがまだぼうっとしているシトゥリを促した。
「さあ、参りましょう」
「……どうして、アシリアさん。僕は、あなたの敵じゃないんですか?」
 シトゥリは考えていたことを訊いた。アシリアが微笑んだ。自分自身が女っぽい微笑をするのを見るのは、違和感がある。
「わたくしはあなたに負けました。巫女失格ですわ」
「でも、僕たちは今から神を、母船を破壊しようとしてるんですよ」
 アシリアは笑みを苦笑に変えた。
「わたくしは、憎んでいるのです。教団を。この母船を。無駄話はここまで」
 きびすを返して走り出したアシリアを追って、シトゥリも走った。体の動かし方は肉体自体が記憶しているのか、違和感は無いが、考えているよりも速度が出ない上にバランスが悪い。何より大きく揺れる胸が邪魔で仕方なかった。ふと見ると、シトゥリの肉体を持つアシリアはずっと先に行ってしまっていた。
「アシリアさん、待って!」
「あ、すいません。なんだか動きが早くって」
「そりゃ、体は小さくても部活で鍛えてましたから。陸上の選手だったんですよ」
 シトゥリは少し自慢そうに言って、ようやく追いついた。
 タケミカヅチのハッチは、開いたままになっていた。おそらくトウキが戻るとき、開けっ放しにしておいたのだろう。シトゥリはハッチの開け方を知らなかったから、助かった。
 艦内は静まり返っていた。シトゥリは結局、アシリアに手を引かれて走っていた。非常に情けなかったが、体力的にも限界に近かったので仕方が無い。
「シトゥリくん!アシリア様!」
 ブリッジに入ると、クラが大声を上げた。むっとするほどの血臭があたりに立ち込めている。操舵席の手前には血溜りが広がっていて、壁際ではトウキの死体を抱きしめ、キリエが放心していた。そのキリエの肩を抱いていたサクヤが言った。泣きはらした目をしている。
「トウキが、トウキが……!」
 シトゥリはうなずいた。
「知っています。僕たちは、一心同体らしいですから。最後の力を僕に預けるって、そう言ってました」
 呆けた表情でサクヤが見返してきた。思わず今の体はアシリアだと言うことを失念していた。
「儀式の失敗で、肉体が入れ替わってしまったのですわ」
 アシリアが補足した。クラがコンソールに突っ伏した。
「アシリア様……。よかった……本当によかった」
 肩を震わすクラに歩み寄り、アシリアはそっと手を置いた。
「ご心配をおかけしました。わたくしも、もう一度あなたに会えるとはおもいませんでしたよ、クラティナ」
 中身が違ったら、自分にもこれほど優しく威厳に満ちた声を出すことが出来るのか、とシトゥリは思った。機会があったら伝授してもらおう。
「サクヤさん。トウキさんの魂を無駄にしないためにも、発進準備をしてください。あの邪神をぶった切って、そして生きて戻りましょう!」
 サクヤがはっとした表情をした後、うなずいた。放心しているキリエの肩を揺らす。
「キリエ、席に戻って」
「いやよ……お兄ちゃんが帰ってくるまで……」
「キリエ、シトゥリくんを見て。まるで――」
 サクヤが微笑んだ。
「まるで、昔のトウキが戻ってきたみたいだわ」
 キリエが視線をシトゥリに向け、そして徐々に瞳の中へ光を戻していった。姿はアシリアでも、その中から溢れるものはシトゥリ自身の輝きだ。その輝きが、キリエに理性を回復させていく。キリエはしっかりとうなずいた。
「……行きましょう」
 それを見届けたサクヤもうなずいて言い、艦長席へ向かって、クラに指示を出した。
「メインエンジン、ポテンシャルMAX!通常バリアを展開、進路を確保しつつバックブーストを最大噴射し、一気に脱出!」
「OK!カウントをお願い。誰か――」
「カウント、わたしが取りますー」
 ブリッジの入り口から、シリンの声がした。サクヤが振り返る。
「シリンちゃん!大丈夫なの?」
 シリンは青い顔をしていたが、うなずいた。体調というよりも、トウキの死を目の当たりにしたからだろう。アシリアが歩み寄り、額に手を当てた。
「……これで大丈夫。ごめんなさいね。あなたの体に細工をしてしまって」
 それはあの触手のことだろうか。シリンはもう一度うなずき、オペレーター席へ着いた。その後はじめて気付いたように、アシリアとシトゥリを見比べる。
「えっ?あの、どっちがどっち……?」
 ブリッジの面々は苦笑して答えなかった。クラが言った。
「メインエンジンポテンシャル確保!点火までカウントを!」
「了解!カウント10!9!8!」
 シリンが切り替えも素早く、カウントを取り始める。
シトゥリはブリッジの中央に立った。聞こえる。タケミカヅチの鼓動が。脈動が。叫びが。今や、タケミカヅチの全てが、シトゥリそのものだった。目を閉じ、その感覚に体を合わせ、そして神経を通わせていく。
「3!2!1!点火!」
「バリア展開っ!バックブースト噴射!」
 邪神に埋もれたタケミカヅチは、その周りにバリアを張り巡らし、邪神の構成物を押しのけ、そして逆噴射で後ろ向きに動き出した。
「脱出まであと20メートル!」
 その時、衝撃が艦を揺らした。シリンが叫ぶ。
「通常バリア、一部損壊!邪神の触手が艦前方に巻き付きました!引き戻されます!」
「帰さないって訳ね。表面に電磁コーティングを最大出力で――」
「いいえ、構いません」
 シトゥリは目を開けて、言った。
「大葉刈バリア、展開」
 そう言った瞬間、凄まじい衝撃がブリッジを振動させ、そしてメインスクリーンが真っ黒な邪神の内部から、宇宙を映し出した。シリンが生唾を飲み込んで、言った。
「大葉刈バリア、展開済み。……信じられません。展開の反動でタケミカヅチは邪神の内部より脱出しました。触手は切断されています。大葉刈バリアの出力、前回と桁が違います」
 ブリッジの面々がシトゥリに視線を当てた。シトゥリはにやりと笑った。不敵さとニヒルさを兼ね備えた、あの笑い。続けて言う。
「邇芸速水バリア、展開。析雷、伏雷、両サブエンジン起動」
 展開の衝撃か、一瞬スクリーンが激しく歪んだ。大きく低い、鼓動のようなエンジン音もタケミカヅチの深くから聞こえてくる。
「……あんた、一体何者?」
 呆然とした調子でクラが呟いた。シトゥリにはようやく分かってきた。現人神の意味。タケミカヅチの本当の姿。
「エンジン出力計測不能!おそらく、巡洋艦――いえ、戦艦・空母クラスの出力が発生しているものと推測されます!次の補給の時には、計器を取り替えなきゃ」
 シリンがパネルを叩きながら言った。
『シトゥリくん、今から神の門を開く』
 シトゥリの脳裏に、トウキの声が響いた。
『大葉刈を神度剣へと。その時、正直君が生き残れるかわからないが――ま、やってみよう。賭けるしかないさ』
 シトゥリはゆっくりと、深くうなずいた。
「クラさん。邪神の方へ、しっかりと操縦桿を握っていて下さい。今から、超高機動航行へ入ります。大葉刈バリア、最大展開!」
 サクヤが制止の声を上げた。
「やめて!そんなことすれば――」
「死ぬわよ、シトゥリくん」
 キリエが睨むような視線を当てた。もう誰にも死んでほしくない。その目は雄弁にそれを語っている。
「……大丈夫です。僕には、トウキさんがついている。信じてください」
「わたくしも手伝いましょう」
 アシリアが言い、シトゥリの隣へ立った。
「あなたは――」
「仕えるべき神への、手酷い裏切りですわ。でもわたくしには、もう帰るべき場所も、護るべき人々も居ないのです。いえ――たった一人だけ、ここに」
 アシリアはその視線をクラへと向けた。クラはまなざしを受け、泣きそうな顔で下唇を噛んだ。
 シトゥリはうなずいた。
「では、やりましょう。神の剣を、僕たちの前に」
――彼(か)の異(け)しき物、妖(わざわひ)とともに吾(あ)が十拳剣(とつかつるぎ)にて払わん
 振動とともに、異音が艦内を揺るがした。シリンがコンソールの解析結果メインスクリーンに回す。
「大葉刈、形状を変換しています!か、艦内の慣性中和装置ではしし、振動を防御しきれませんっ」
 スクリーンに映るタケミカヅチの略図には、前方に剣状のバリアが描き出されていた。それが渦を巻き、螺旋を描きながら艦全体を1つの剣へと変えていく。その光景に圧倒され、サクヤ以下声も無い。シトゥリは叫んだ。
「神度剣。さあ、扉を開くときです!クラさん、突撃しますよ!」
「ラジャー!」
「析雷伏雷、最大出力!」
 どおおぉぉぉぉおん、と爆発音のような音を立て、ブリッジには中和し切れなかった慣性が波のように押し寄せた。ベルトをしていなかったシリンが悲鳴を上げて席から転がり落ち、トウキの死体がずるずると滑っていく。シトゥリとアシリアは、その中でも平気な顔をして立っていた。
 まるで光の中にいるようだった。今や神度剣となって展開された大葉刈が、まばゆい光を放ってスクリーンを焼き、目も開けられない光でブリッジを満たした。
 外から見れば、一本の輝く剣となったタケミカヅチが、まさしく瞬間的に邪神へと彗星のように突撃した光景が見られただろう。それは邪神の内部に潜り込み、その輝きを増した。まるでシェードランプのように、暗い宇宙を邪神が、その中のタケミカヅチが照らしていく。
――黄泉動(とよ)みて汝(な)が霊(たま)、吾(あ)が雷と成り成りて高天原の戸を開かん
 聞こえる声は、建御雷神のものだ。シトゥリは確信した。自分の魂を摂り、その力を使って神の門を開く。覚悟は出来ていた。光がさらに激しさを増して、もう床も回りも見えない。
いや、ここは本当に通常の空間なのだろうか。
どこか希薄な肉体の意識。光の中へ入った瞬間、世界が違っている気がした。
『あなただけは行かせませんわ』
 アシリアがシトゥリの隣で、言った。その姿は元に戻っていた。シトゥリも自分の体が男性に戻っていることを知った。おそらくここは、精神の世界。魂が形になって目に見えているのだ。
『シトゥリくん。さあ、剣を取るんだ』
 トウキが反対側から、シトゥリを促した。うなずき、ゆっくりと手を剣を握る形にしていく。そこには何も見えないが、確かに剣があった。
『八十禍津日神はあそこです。わたくしが方向を』
 アシリアがシトゥリの手に片手を添えた。
『では、おれは力を。シトゥリくん、君は動きを頼む』
 トウキがさらにその上に手を重ねた。
 シトゥリはゆっくりと剣を上げ、アシリアと、トウキの力を感じながら、振り下ろした。その先にはいつの間にか現れていた黒い塊が蠢いていた。剣は深々とその中に刺さり、しかし、それ以上は進まなかった。
『おれだけの力では、やはり無理か。……シトゥリくん、君も力を込めるんだ。それは死を意味するが』
『わかってます』
 シトゥリが力を込めようとした瞬間、闇の塊が蠕動し、そして弾け散った。白く輝いていた周りの光景が、真っ黒に塗りつぶされていく。びゅるびゅると伸びる闇の触手が、檻のように周りを囲んだ。
『禍が溢れた!』
 アシリアの悲鳴が響いた。
『ダメです、この禍に呑まれれば、わたくしたちは――』
『畜生、馬鹿な!建御雷神でも、八十禍津日神には勝てないのか!?』
『諦めるには早いですよ、トウキさん!』
『禍に触れれば穢れてしまう!神が力を引き出せないんだ!』
『そんな――』
 黒く塗り潰された空間に、突如光が差した。ただ白いだけのものとは違う、明るい暖色を帯びた太陽のような光。それが、暗い空間を次々と薙ぎ払っていく。
『この、光は……?』
 アシリアが呆然と呟いた。
『――まさか!』
 トウキが叫んだ瞬間、その光は熱いまでの輝きで、シトゥリたちを包み込んだ。
『まさか、サクヤ。君なのか!?やはり君は、天照(あまてらす)の――』



 気がついたときにはすべてが終わっていた。
 八十禍津日神は母船とともに跡形も無く消滅、おそらくは高天原へと送還され、災厄が黄泉から地上へ漏れるのは、かろうじて阻止された。
 タケミカヅチは特異点近くまで流されており、そこから無事地上に戻ることが出来た。
 トウキの葬儀はしめやかに行われ、2階級特進でその階級は少佐となった。あたしなら2階級特進なんて辞退するわ、とキリエが苦々しく言った。
サクヤは葬儀の後、どうしてわたし、船に乗っているんだろう、と呟いた。こんなにつらい、悲しい思いまでして。得るものより、失うものが多いなんて。
クラはしばらく休暇を取り、アシリアとゆっくり過ごすそうだ。タケミカヅチも調整のため長期の休眠に入った。しかし休眠から覚めても、それに乗るクルーが同じかどうかは、もう分からなくなっていた。
そして、シトゥリは――
「うう……酷いですよ、アシリアさん」
 ぶつぶつ言いながら、シトゥリは履き慣れないスカートが風に靡くのを押さえた。
「男の体の方がクラさんといいこと出来るからって、2人で姿をくらますなんて……」
 心地よい風が、街路を渡っていく。それは多くの悲しみと、魂を運んでいく透明な風。これからも、人が生きていく限り、風は吹き続けるだろう。しかし途切れない風は無い。やまない悲しみも無い。
「きっと、僕たちを見守っていてくれますよね、トウキさん」
 太陽が輝きを増し、シトゥリは空を見上げた。その背後から、大きな影がシトゥリの小さな体を包んだ。
「よぉ、ねえちゃん。暇ならどう、お茶でも」
 見知らぬ男に声をかけられ、シトゥリはキッとその方向へ視線を向けた。
「僕は、男ですっ!」
 美少女にキレられた男は、目を丸くしてしばたいた。


  
アスティア地球連邦軍高速駆逐艦タケミカヅチ 第一部 完

-chapter9- 黄泉帰る過去
 ここはどこだろう、とシトゥリはぼんやり考えた。
 どこかで見たことがある場所のような気もするし、そうじゃない気もする。立ち上がって周りを見回すと、赤黒い壁と床が蠢いている妙なところだった。母船の中――それに思い至って、シトゥリははっと思い出した。
「トウキ――トウキさんは?何があったんだ」
「お久しぶりですね」
 細い声にシトゥリは振り向いた。そこには全裸のアシリアが微笑みながら立っていた。意表を突かれてシトゥリは焦った。
「え、えと、あの、その格好――」
「ふふ、あなただって同じじゃありませんか」
 言われてはじめて、シトゥリは自分が裸であることに気付いた。悲鳴を上げて股間を隠す。アシリアは微笑んだまま、シトゥリの隣までやってきて、見上げた。
 そうだ、聞かなければならないことがある。シトゥリは現状を思い出した。
「アシリアさん。母船は、なんでこんなことに」
「八十禍津日神が動き出したのです。溢れ出した災厄は、もう止まりません」
「じゃあ、母船を乗っ取っている邪神って、あれは八十禍津日神……」
「その一部、と言うことになりますわ」
 眩暈がしそうだった。
 名のある邪神がその力を顕現するたび、地球は大きな戦禍に巻き込まれる。八十禍津日神は高天原の主神たる天照大御神と誕生の時を同じくする、非常に力ある邪神のはずだ。こんなものが暴れだした日には、戦争どころでは済まないのではないか。
「八十禍津日神……」
 何か言おうと思ったのだが、それしか言葉が出なかった。アシリアはうなずき、股間を押さえたままのシトゥリの手を取った。
「しかし、まだ手段はあります。天鳥船(あめのとりふね)が八十禍津日神の中に突き刺さっている。神の剣をそこで振るえば、八十禍津日神にも届くでしょう。そしてそれが出来るのは、あなただけ」
「どう……どうすれば」
 言っていることの意味が半分もわからなかったが、シトゥリは訊いた。アシリアがシトゥリの手を、自分の胸にあてがった。小さな体とは不釣合いなほど豊かな胸。そのやわらかさに、シトゥリはどぎまぎした。
「わたくしは、八十禍津日神の巫女。神を屠ることの出来る人間を、そのままにしておくことなど出来ません」
「え?」
「あなたには、今度こそ贄になってもらいますわ」
 にたり、と笑ったアシリアの表情に、シトゥリは血の気が引いた。反射的に振り解いた手は、しかし背後から何者かに掴まれる。
「――!?」
「逃げることは出来ません」
 背中の後ろから、アシリアの声が言った。目の前のアシリアはただ微笑んでいる。首だけ後ろに向けて、シトゥリは息を呑んだ。そこには、まったく同じ姿のアシリアが、同じような笑みを浮かべていた。
 それだけではない。次々と、続々と部屋の中にアシリアが現れてきていた。シトゥリは恐怖のあまり声も出すことが出来ず、腕を掴まれたまま目を見開いて、その異様な光景を見つめるしかなかった。右からも、左からも、アシリアが微笑みながら歩を進め、シトゥリの手前で足を止めていく。すでに10人以上のアシリアに、シトゥリは囲まれていた。
「さあ、儀式を」
「今度は、わたくしたちの中で」
「穢い精をお出しになって」
 いっせいに伸びてきた手が、シトゥリの体を掴んだ。恐怖の叫びを上げてシトゥリはもがき、逃げようとしたが、バランスを崩して後ろざまに倒れこんだだけだった。倒れた下にも、数人のアシリアが蠢いていた。餌に群がるように、幾人ものアシリアの顔がシトゥリの股間に向かい、乳首を吸い、叫ぼうとする口には舌が差し込まれた。
 まったく訳が分からなくなって、シトゥリは暴れることも出来なくなった。股間からはいくつものぬるぬるしたものが這い上がっては下りる感覚が続き、指は膣の中に差し込まれているのか、両手とも湿った狭い場所にある。ぎゅっと閉じていた目を開けると、同じ美しい顔が、交じり合い、入り乱れて少しでもシトゥリに触れようと、その舌や指を伸ばしていた。
 初めてそこで、シトゥリは倒錯的な欲情を覚えた。あるいはあまりのことに、脳の神経が一時的にどうかしてしまったのかもしれない。すでに立ち上がっていたイチモツは、射精の欲求にびくりと震えた。
「ああ、出そうですわ」
「わたくしの口に出して」
「いいえ、わたくしの顔にかけて」
「わたくしの胸を汚して」
「わたくしの」
「わたくしの」
「わたくしの」
 シトゥリは射精した。その精を浴びようと、アシリアたちが股間に顔を近付けた。跳ね回りながら白い液体を飛ばすイチモツが、その一人一人に精液をなすりつけていく。
「ああ、穢い」
「汚されてしまったわ」
「もっと汚して」
「精をお出しになって」
 アシリアたちはお互いの顔に付いた精液を舐めあい、そして再び、シトゥリの股間になだれ込んだ。シトゥリはもう自分がどんな体勢になっているのかよく分からなかった。回りに蠢くのは肌色の肉の壁。高く持ち上げられ、開かされた脚の間に、数人のアシリアが入り込み、玉からアナル、竿とカリをそれぞれ舐め回していた。
「ううっ、うー!」
 あり得ないほどの快感に、シトゥリはすぐ2度目の精を放った。先ほどサクヤに搾り取られたとは思えない、大量の精子がそれぞれ付着する場所を求めて、宙を舞った。アシリアたちは顔を上へ向け、噴水のように吹き上がった精液が落ちてくるのを、口をあけて待ち受けた。
「おいしいわ」
「いいえ、おいしくない」
「なんて粘りのある精なのかしら」
「喉に絡み付いて気持ち悪い」
「いいえ、気持ちいい」
「わたくしの愛液はどうなのでしょう」
「舐めさせて差し上げましょう」
「体中に塗りつけて差し上げましょう」
 アシリアたちは今までシトゥリに向けていた顔を反転させ、その秘所をシトゥリの太腿や、胸や、腕や、腹や、手足の指先まで、押し付けていった。花弁から次々と溢れてくる蜜は、シトゥリの体を妖しくぬらぬらと輝かせていく。思考が止まったまま何も考えられないシトゥリの顔をまたいで、アシリアの一人が言った。
「ほら、わたくしのあそこ。どうなっていますか?」
「綺麗ですか?」
 もう一人が、自らの花弁を指で広げ、奥までを見せ付けるようにした。
「それとも、厭らしいですか?」
 その隣のアシリアは、蜜を掻き出すように指を動かし、掬い取ったそれをシトゥリに見せた。
「わたくしの精もお飲みになってくださいませ」
「前は、あなたが現人神と知らなかったから」
「今度は、あなたの中までわたくしのもので清めて、魂をいただきます」
「さあ……おいしいですよ」
 顔をまたいだアシリアが、花弁をシトゥリの口へ押し付けた。子供のように小さなそこは、口を大きく開いただけで、クリトリスからアナルまで、一挙に食べることが出来そうだった。シトゥリは無意識のうちに舌をその中へ差し込み、しとどに溢れくる蜜を掬っては舐め、吸い続けた。
「嗚呼……」
 アシリアが恍惚と呻き、片手で収まりきらない乳房を揉んだ。その快感は全員に伝わるのか、他のアシリアもうっとりと目を細め、自らの股間に手を当てている。
「お飲みになって、もっとお飲みになって」
「いいえ、あなたのも飲ませて」
「あなたのおいしい精も飲ませて」
 イチモツがまた、何人ものアシリアに舐め回される。アシリアの蜜を飲むたび、何か妙なものが自分の精神の中へ落ちていっているような気がした。心の膜を溶けた蜘蛛の糸がゆるく、しっかりと包んでいくような。それは、心の捕獲を意味していた。
『シトゥリくん、すまない』
 ふと、その精神の奥、どこか遠くへつながっている場所から、トウキの声が聞こえた。
『おれはひどい失敗をしてしまった。人柱にはおれがなるつもりだったが、もうそういう訳にはいかないようだ。すまない、後のことは、君に任せることになったよ』
『どう言う……ことですか?』
『おれたちが出会ってから、心の繋がりはその境界が分からなくなるほど強くなっている。おれは君、君はおれ。そう言う気持ちで、思い出して(・・・・・)みるんだ』
『おれは君……君はおれ……』
 その瞬間、映像がはじけた。



「シトゥリくん、これから邪神の神殿に入る」
 トウキは、後ろをぴったり付いてくるシトゥリに囁いた。
「その前に、これを飲んでおけ。邪神の影響を受けなくする薬だ」
 そんなもの在りはしない。トウキは、カプセルに入った薬を渡した。何の疑いも持たず、シトゥリがそれを口の中へ放り込んだ。水がないから飲みにくそうだったが、嚥下に成功したようだ。とたんにその足がもつれ始め、トウキはそれを支えた。
「あ……れ?トウキさん、体が……」
 トウキは、にやっと笑ってみせた。軽い口調で告げる。
「悪いね。八十禍津日神の餌には、君がなってもらうよ。サクヤを寝取った仕返しさ」
 驚きで見開いたシトゥリの目が、反転して白目になった。それを閉じさせて、トウキは力を失ったシトゥリの体を神殿の中に運び、台座に乗せた。すでに最奥地であるこの神殿にも、邪神の侵食は進んでいるようだった。神殿を形成している無機質な壁は、有機的な動きを見せる赤黒い襞に覆われ始めていた。
「裏切りっぷりとしてはなかなかだな」
 我ながら、と苦笑する。
「しかし安心してくれ。おれが健在である限り、君がいくら喰われても危険はないよ。おれが現人神であることは、君以外の誰も知らない。八十禍津日の巫女は、おれたちの裏を突いたつもりだろうが、さらにその裏をおれは突き返す。悪いが、そのためには敵の目をそらすことが必要なんだ。ま、がんばってくれよな」
 気を失っているシトゥリに、独り言を囁きかけ、トウキは身を翻した。足早に神殿を抜け、タケミカヅチへと戻る。母船の中は襞に多い尽くされ、人の気配どころか最初からこんな場所だったのではないかと思わせる様相を呈していた。
 ハッチをくぐり、艦内に戻ると、ブリッジにはキリエやクラだけでなく、サクヤの姿もあった。心配していた邪神の侵食もないようだ。トウキは言った。
「動いて大丈夫なのか?」
 サクヤはまだ青い顔をしていたが、うなずいた。なんとか脱出しようと舵を取っているクラが、トウキを振り向いた。
「シトゥリくんは?」
「悪い、置いてきちまった」
 悪びれず笑うと、一瞬信じられないと言う顔をしたクラが、すぐさま激怒の表情に取って代わって立ち上がった。
「あんた、なんてことを――」
「彼に危険はない。それより、今からタケミカヅチを脱出させる。準備をしてくれ」
「ダメよ、シトゥリくんを回収するまでここを離れません」
 いつもより弱い口調ながら、サクヤが言った。それをじっと見つめ、ようやくトウキは口元の笑みを消した。己の決意を隠していたその笑みの下には、相手が恐怖すら覚えるほど、真剣な表情が潜んでいた。それを見たサクヤが、少しぎょっとしたように訊いた。
「……何を考えているの?」
「大葉刈の別名を知っているか?」
 トウキは逆に聞き返した。低い声。サクヤが何故、と言う口調で答えた。
「神度剣(かむどのつるぎ)。名義は未詳だから、大葉刈の方を通称にしてるわ」
「神度は、神門とも書く。神の門――つまり、高天原への扉だ」
 それを聞いて、サクヤは驚いた声を上げた。
「まさか、大葉刈は――?」
 その言葉に、察しがいいな、とトウキはうなずいた。
「そうさ。時空を切り裂き、高天原へ相手を叩き込むことができるんだ。そいつをいっちょ、この八十禍津日神で試してやろうってわけだよ」
「そんな……」
 思わずと言った感じで、キリエが呟いた。立ち上がったままのクラも、頭を振った。
「なんだか、次元の違う話ね」
「そのためにおれはここへ戻ってきた。1年前のけりは、おれなりの方法でつける。協力してほしい」
 トウキは一同を見回した。全員が真剣なまなざしで見つめ返している。クラが片手を挙げた。
「質問が2つほど。まず、シトゥリくんは?」
「説明している時間はないから省くが、おれが生きている限り大丈夫だ」
「母船の人たちはどうなるの?」
「さっき見てきたが、中には人っ子一人居やしなかった。生きてるのか死んでるのか知らないが、少なくとも人の形を留めてはいないだろう。特に、巫女であるアシリアはな」
「…………」
「巫女はもっとも神に近い。そうなるさだめだ。アシリアも、そして君も分かっているはずだ。クラ」
 クラは目をそむけて、うなずいた。ポニーテールが決意と悲しみに揺れた。
「すまない。慰めてやる暇も、今はないんだ。発進準備を――」
 と言った瞬間、きぃぃぃぃぃん、と言う耳障りな音がブリッジに響いた。ガラスを引っかいたような、生理的に受け付けられない音。何事かと、全員が辺りを見回した。
 まったく揺れを感じないのに、ブリッジ内のあらゆるものが、カタカタと振動を始めた。中にはふわっと空中に浮くものすらある。手元のバインダーが飛び上がろうとするのを押さえつけて、サクヤが青い顔をさらに青くした。
「まさか、ポルターガイスト!?」
「心霊現象だ。艦内に死人が侵入したぞ!」
 トウキは叫んだ。腰のホルスターから拳銃を抜いて構える。クラが操縦桿を引こうとしたが、それはまったく動かなかった。
「まずいわ。相手はこっちを逃さないつもりよ。ただの浮遊霊とかの類じゃない」
「こんなときに……と言うやつか。まったく、さっきからついてないぜ。サクヤ、体調が悪いなら注意しろ。憑依されるぞ」
『憑依なんてしませんよ』
 ブリッジの中に声が流れた。全員が凍り付いたように動きを止める。発信源は掴めないが、むしろ甘く清々しい印象すらある、澄んだ男の声だった。その声色の特徴に、トウキは水を浴びせられたような気がした。
「まさ――まさか……!?」
 他の人間も、トウキの動揺した口調で気付いたようだった。一様に驚きの表情を浮かべる。
「残念ながら、そのまさかですね」
 ブリッジの入り口から、1人の男が姿を現した。
「ジーク……!ジークフリード=ハヤカワ!」
 キリエが悲鳴に近い声をあげ、両手で口元を押さえた。嫌々と首を振り、続ける。
「ウソよ!あなたは一年前――」
「そう、死にました。今は死人の身です」
 そう言ってジークは笑った。黒髪も、特徴であるふち無しの眼鏡も、トウキとは質の違う軽い笑みも、何も変わっていない。そして癖までも変わっていなかった。親指で眼鏡を押し上げ、ジークは世間話をするように言った。
「どうですか?僕がいなくなったあと、いいオペレーターは見つかりましたかね。見たところそれらしき人物はいないようですが――」
 シリンは別室に監禁されている、とは誰も言わなかった。ただただ、絶句している。
 死人は通常、その形を維持することができない。人は死ぬと黄泉へ堕ち、そこで黄泉の食物を摂って、その住人となってしまうからだ。まれに生前の姿を持つものや、恨みつらみなど負の感情だけを持続させるものは居るが、このように生きている時とまったく同じ姿、同じ精神を保っているのは、在り得ない現象ではないとは言え、おとぎ話や物語の中の出来事に過ぎない。
 身じろぎもしない面々を見回し、ジークは肩をすくめた。サクヤの後ろを歩いて、オペレーター席へ向かう。懐かしそうにそのコンソールの表面を撫でた。
「なるほど、誰か仕事は継いでくれたみたいですね。まあ、でも僕のエンジェルボイスには適わないでしょう。ね、サクヤ」
 ジークが視線を向けた先のサクヤは、ぼろぼろと大粒の涙を流していた。それを見て、ジークは少し驚いたように言った。
「泣いてくれるんですか?サクヤ、君はトウキを選んだと言うのに。……女は残酷ですね。僕も泣き返したいですけど、死人に涙は流せません」
「一体、何をしに戻ってきた!」
 ようやく、トウキは叫んだ。ジークがトウキを見据える視線は鋭かった。
「……出来なかった復讐、かな。今、僕の心の中には、負の感情しか渦巻いていません。トウキ、君は八十禍津日神の裏の裏をかいたつもりでしょうが、そのさらに裏をかかれるわけです。この僕によってね」
「黄泉へ戻れ、死人!」
 叫んで、トウキは銃を向けた。ジークの眉間まで一直線。しかし、撃つのには一瞬の躊躇があった。その隙を突かれ、トウキの体は金縛りにあい、動かなくなった。
「君は卑怯で、どうしようもない男だけど、やっぱり優しいんですよね。それでもってナンセンスだ。戻ろうにも、黄泉はここですよ」
 ジークが動かない銃口の向こうで、どこか寂しそうに微笑んだ。
「君は建前や、しょうもない動機で自分の心を裏切ってばかりいる。それが君だけじゃなく、周りの人間を不幸にしてしまっているんだ」
「死人に……言われたくはないぜ」
「ははっ。それもそうです。確かに人のことをどうこう言える状態じゃないですからね。僕が何を考えているか分かりますか。……どうやってあなたたちを黄泉へ引きずり込むか、どうやればトウキ、あなたがもっとも苦しむのか。そればかり考えています」
 ジークの目の奥には、生前になかった狂気があった。それを見て取り、トウキは叫んだ。
「キリエっ、クラっ!撃て!」
「撃てるならやってるわよ!」
 クラが叫び返した。金縛りにあっているのはトウキだけではないらしい。ジークはもうその狂気を隠そうとはしなかった。誰もが和むような微笑を、残酷な形に歪め、そして言った。
「トウキ。君は隠していましたね。サクヤにも黙っていた」
「……何をだ」
「キリエを愛していたことですよ」
「えっ!?」
 驚きのあまりか、サクヤが小さく叫んでいた。トウキはジークが何を意図しているのか図りかね、とりあえず言葉を返した。
「気にするな、死人の繰言だ」
「ほら、君の悪い癖だ。そうやって真実を隠そうとする。他人からも、自分からも。僕と君は恋敵でしたが、それゆえわかるんです。君は今でもキリエを愛している。その想いを自分から隠すため、サクヤへと屈折させているのですよ」
「馬鹿――馬鹿なことを言うな」
 だがジークの言葉は、語尾が震えるほどの同様をトウキに与えていた。それは心の中で思いつくたび、すぐさま否定してきたことだったからだ。それを他人から指摘されるのは、想像以上の衝撃があった。ジークはさらに続けた。
「可哀想なのはキリエですよ。あなたは彼女を殺すと言い続けてましたが、君たちの師匠を殺したのはキリエじゃない。その可能性を教えてあげたのは、僕だったのに」
「…………!!」
 キリエが息を呑んだのが、気配で分かった。トウキは嫌な汗が額から湧き出てくるのを感じた。
「でも君は、それをキリエに伝えることはしなかった。言ってしまうと昔に戻ってしまいそうだったから。それが、あなたが今でもキリエを愛している証拠です」
「……だから、それがどうした。よしんばそうだったとしても、おれがサクヤを愛している事実に、変わりも揺るぎもない」
「君はわかっちゃいませんよ。そんな屈折した愛情に負けた僕が、どれほど惨めだったか。そして今、死人になってまで君の前で、過去を掘り返している。これがどれほど惨めなのか……!」
 ジークの言葉に、初めて力が篭った。それに押されて、トウキは沈黙した。ジークがそれを見て、見るものが目を背けたくなるような表情で言った。顔は笑っているが、それは笑みの形をしているだけだ。
「ねぇトウキ。君はあいまいなものをさらにあいまいにするのが得意だから、一度はっきりしなくちゃダメですよ。――今、あなたの体に呪いをかけました。1つ、あなたのその銃は、必ず人を撃たなくてはならない。2つ、あなたの銃は、このあと自分がもっとも愛しいと思っている女の方へ向く」
「!!」
「ジーク、本気?」
 サクヤが始めて言葉を発した。どこかうつろなまなざしは、疲れきっているようにも見える。ジークは目を合わせず、うなずいた。
「ここから先は、僕は関与しません。撃たれたならサクヤ、本気でトウキに想われていたと言う事ですよ。いいことじゃないですか」
「……そうかもね」
 投げやりな口調だった。乾き始めた涙の筋だけが、痛々しく光った。
「もうやめて、ジーク!」
 クラが悲痛な声で言った。
「せっかく5人、また揃ったのに。どうして、どうしてこんな哀しいことばかり、繰り返さなくちゃならないのよ!」
 後半は涙声だった。トウキは銃を握った自分の右手が、意思とは関係なく動こうとしているのを知った。必死でそれを押さえつけようと腕に力を込めるが、それはまったく無駄な努力に思えた。
「くうっ……!」
 脂汗が滝のように流れ落ち、噛み締めた口元からは血が滲んで、流れた。ジークが笑みを消して、じっとそれを見つめながら言った。
「さあ、どっちです。あなたから見て左ならサクヤ、右ならキリエが居ますよ。クラさんは対象外だから、後ろで見物してなさい」
 ジーク自身も、トウキの腕の行方に多大な興味があるようだった。それに関与していないと言うのは本当だろう。トウキの深層心理に従って、銃は方向を決めるのだ。
 突如、まるで糸に引っ張られたかのように、トウキの右手は右に動き、キリエをポイントした。トウキも、キリエも、サクヤも、クラも、ジークすら、驚きの表情を浮かべた。
「まさか……おれは、キリエを?」
 トウキの腕の筋肉はぶるぶると震えたが、銃身は微動だにしなかった。それはまっすぐにキリエを向いている。
 その先で、キリエは泣きそうな顔で笑った。
「トウキ、あたしを殺すんでしょ?早く撃ちなさいよ」
「いいや、撃たない」
 トウキはきっぱりと言った。呆然とした表情を浮かべていたジークが、再び残酷な笑みを口元に戻した。
「無駄な抗いはよしなさい。この後、あなたは引き金を引かざるを得ないのです。愛しい妹に向かってね」
「ジーク、お前はいつも詰めが甘いんだよ」
 トウキは、普段のあのにやっとした笑みを浮かべた。
「詰め……?」
「呪いをかけるなら、『愛しい女を撃たなくちゃならない』ってすればよかったのさ!」
 叫ぶと、トウキは動かない左手を無理に動かし、右手の銃身を握った。ジークは死人であり、人ではない。ならば、それを向ける先は、1つしかなかった。
 トウキは銃口を自分の腹へ向け、その瞬間引き絞られた引き金が撃鉄を落とした。
 銃声はむしろ淡白で、跳ね上がったトウキの動きは、むしろスローモーだった。
「トウキっ!?」
 誰の叫びかはよくわからない。トウキは自分の体が崩れ落ちる前に、銃を前方に伸ばし、ジークへ立て続けに発砲した。
「あは、あははははははははっ!!」
 踊るように銃弾を受けながら、ジークが哄笑した。その体が壁に叩きつけられ、煙のように霞んでいった。
「あははははははははっ!!」
 笑いながら消えていくジークの姿は、なぜか泣いているようにしか見えなかった。完全に消えてなくなったのを見届け、トウキは銃を落とし、膝を突いた。
「お兄ちゃんー!!」
 キリエが喉が潰れそうな叫びを上げ、駆け寄ってその体を抱きとめた。トウキはその腕の中でうっすら目を開けたが、まわりはよく見えなかった。
「キリエ……か?すまん、目が霞んでよく見えないんだ」
「いやっ!いやよ、お兄ちゃん!」
 トウキは片手を挙げた。それを掴み、キリエが自分の頬に押し当てた。涙が指を濡らし、手首へと流れた。
「お兄ちゃんって呼ぶなと、いつも言ってるだろ?なんだ、泣いてるのか。いつから、泣き虫になったんだ……」
「バカ。あなたはバカよ……!」
 サクヤが押し殺し、震えた声で言った。その方向へ視線を向け、トウキは訊いた。
「なあ、サクヤ。おれは本当に君を愛していたのか……?」
「あなたのことなんかわからない。でも、でもわたしは……あなた……をっ!」
 最後は声にならなかった。トウキはふっと笑うと、言った。
「……おれは幸せだな。みんなに囲まれて死ねるなんぞ、思ってもみなかった。クラは泣いてくれないのか?」
「泣くもんですか。あんたみたいな、最後の最後まで、卑怯な男なんか。誰が……!」
 その声は震えて、嗚咽を必死に隠しているのが分かる。
「シトゥリ……シトゥリくんには、悪いことをしてしまったよ。神門を開くには……っぐ」
 トウキは痙攣し、大量の血を吐いた。
「もうやめて、しゃべらないで!」
 その血に汚れることも気にせず、キリエは叫んだ。トウキの言葉は急激に混濁していった。
「神門には……人柱が。おれの最後の力を……そこで……ジーク、やっぱりおれのほうが、いい男のようだぜ……」
「……バカ」
 サクヤが呟いた。それを受けたように、トウキの体から力が抜けた。
「いやあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 キリエの絶叫が、ブリッジを抜けて、タケミカヅチの中に響き渡った。
-chapter8- 交錯する運命
「シトゥリくん。おい、しっかりしろ」
 頬を叩かれ、シトゥリは薄く目を開けた。覚めない意識のまま、呆と視線を声の方へ向ける。トウキがベッドに膝をつき、覗き込んでいた。
「トウキ……さん?僕は……」
「よかった。もう大丈夫だな」
 シトゥリ意識を失う前の出来事を思い出した。はっと体を起こし、自分の隣を見ると、裸のサクヤが転がっていた。慌てて言う。
「その、すいません、トウキさん。僕はそんなつもりじゃ――」
「いや、謝るのはこっちのほうさ。相当激しくやられたみたいじゃないか」
 シトゥリが意識を失っているうちにつけたのだろうか、胸から首にかけて無数の引っかき傷や、噛み跡がついていた。トウキはまじめな顔のままうなずくと、言った。
「サクヤの方はもう大丈夫だ。君が禍を払ってくれたからな。ああしないと、邪神の影響を受けたものは狂ってしまうかもしれないんだ。気にするな」
「はい……」
「立てるか?着替えて、出発しよう。ブリッジは何とかなったが、母船を乗っ取った邪神の中に突っ込んでしまっている」
「わかりました。でもなんで、シリンさんから触手が?」
「アシリア様のせいかも……しれない」
 戸口にクラとキリエが立っていた。呟くようにいったクラが、そのまま中へ入ってくる。
「おい、裸の少年がいるんだぞ。もうちょっと気をきかせろ」
 トウキが非難した。クラがいたずらっぽい笑みを浮かべ、言った。
「あーら、いまさら恥ずかしがる仲じゃないわよ。ね、キリエ」
 キリエは戸口で肩をすくめた。トウキは驚いた表情でクラとキリエとシトゥリの顔を順に見回し、最後にため息混じりに言った。
「純粋そうな顔をして、たいした大物だな、君は」
「う、すいません……」
 シトゥリは何故か誤り、服を身に付けた。その間にトウキが言った。
「おれとシトゥリくんは、母船の中を見てくる。ここは任せたぞ」
「了解。シリンちゃんは一応、隔離して様子を見てるわ」
 クラの言葉にトウキがうなずいた。着替え終えたシトゥリを促して、廊下へと向かう。キリエとすれ違う瞬間、トウキが低く言った。
「……頼んだぞ、キリエ」
 キリエは目をあわさずに、軽くうなずいた。
 非常用のハッチへと向かい、シトゥリはトウキに疑問を投げかけた。
「トウキさん、キリエさんのことはどう思ってるんですか」
 トウキは答えなかった。ハッチへ着くと、隣のパネルを操作し、ロックを解除する。シトゥリはさらに畳み掛けた。
「同じ孤児院に居たんでしょ?いとこ同士で、仲がよかったんでしょ?なら――」
「黙るんだ」
 強い調子で、トウキが言った。一瞬ひるんだものの、シトゥリは続けた。
「いいえ、黙りません。だって、トウキさん。誰かに止めてもらいたがっているようにしか見えないから」
「…………」
「きっと僕なんかには想像も出来ないものが、それこそ想像できないほどあるんでしょう。でも、これだけはわかります。トウキさんのやろうとしていることは間違っているし、トウキさん自身望んでいないんです」
 トウキはハッチの方へ向いたまま、シトゥリに背を向けて立ち尽くしていた。生意気なことを言い過ぎたか、と少し後悔したが、言わずにはいられなかった。やがてハッチが、ピー、と言う音を上げ、内部の空気を排出口から噴出した。
「ロックが開いた。シトゥリくん、君は物事の本質を見る目に長けているな」
「…………」
「君の言う通りだ。おれは逃げてばかりなのさ。卑怯な、最低な男なんだ」
「……そんなこと、言わないでください」
「いいや、事実さ。師匠を殺したのは、キリエじゃない。師匠は暗殺を未遂したため、消されそうになったキリエの身代わりになっただけだ。証拠はないが、たぶんこれが真実だ」
「じゃ、じゃあなんで――」
「怖いのさ。キリエは今でもおれを、男として愛している」
「――!」
「そしておれも昔、あいつを愛していた。愛していると勘違いしていた。兄妹のように育ってきていながら、一時は猿のようにお互いを慰めあったこともあったよ。その時はそれだけが唯一無二の真実だと思ったものだったが、それは違っていた。おれは、おれにないもの、家族の愛をあいつの中に求めていただけだったんだ。それに気付いて、おれはキリエから離れた。戻ってこれたのは、あいつを殺すと言う大義名分があったからだ」
 一気にしゃべって、トウキは息をついた。
シトゥリは自分の浅はかさが嫌になってきた。何もわかっていない。わかったつもりになっているだけなんだ。同時に、飄々としていながらも、トウキは様々なものを乗り越えてきた男だと思った。そこにサクヤが惹かれたのは、間違いのないことに思えた。
「……ありがとう、ございます。話してくれて」
「……いいや。君には、知っておいてもらいたかったのさ」
「でも不思議です。なんだか、トウキさんのことなら何でもわかるような気がするんです。……なんでだろう」
 トウキはボタンを押し、ハッチを全開させた。ハッチの向こうは、まるで化け物の内臓の中のような光景だった。粘りつくような赤黒い襞が、延々と続いている。明かりもないのに、なぜかそれはほの白く光って、進む道を見せているように思えた。
「この先は、敵の巣だ。君に武器を渡したいところだが、正直おれに誤射するほうが怖い。何か出たら任せてくれ」
「は、はい」
 うなずきあい、シトゥリはトウキの後について、その不気味に蠢く母船へと足を踏み入れた。ふと、自分は足手まといにしかなっていないと言う事実に思い至った。何も出来ることがないのはもうわかりきっていたから悔しくなったりしないのだが、どうしてトウキはシトゥリをここへ連れてきたのだろう。
「君はおかしいと思わないか」
 トウキが歩きながら言った。
「何がですか?」
「おれたちは同じタケミカヅチと言う船に乗り、同じ女性を愛している。おれは昨日今日会ったばかりの君に、いままで誰にも話したことがない話をし、君はまるでおれのことを何でもわかるようだ、と言う」
「はい」
「……それは、すべてが必然だ。理由を知りたくはないか」
 トウキが立ち止まった。顔は見えないが、低い口調からだけでも、その表情が真剣なのはわかった。シトゥリはうなずいた。
「……はい」
「おれたちは、一心同体なんだよ。シトゥリくん。君とおれの心の奥底には、同じ奔流がある。――具体的に言おう。おれたちの中には、神がいるんだ。建御雷神(タケミカヅチ)を心に宿した現人神、それがおれたちの正体だ」
「それは、どういう……」
 よく理解できずに、シトゥリは聞き返したが、トウキはそれが聞こえないように続けた。まるで何かを噛み潰すような声だった。
「そして現人神同士が出会ったとき、運命が交錯してしまう。シトゥリくん、おれと君の出会いは、どちらかの死を意味しているんだ」
-chapter7- 忘れ得ぬ想い
 10分後、タケミカヅチのブリッジには全員の姿があった。叩き起こされたにもかかわらず、誰も眠そうな顔などしていない。起こすのは手間取ったようだが、あのシリンすらもうオペレートの仕事をはっきりした声で始めている。なんだかんだ言って、みんな優秀な軍人であり、宇宙の人間なのだ。
「目標との距離500を維持したまま、現在円周航行中。データ解析は未だ終わりません」
 スクリーンに映る邪神の映像。それは、先日出会ったあの爆発した邪神よりも、さらに巨大だった。黒々とした卵のようなものが、宇宙の闇の中に照らし出されている。あまりの威容に、最初はみんな息を呑んで、言葉を発することが出来なかった。
「データ解析急いで。終了後、ログを本部に送信して離れましょう。あれは間違いなくただの邪神じゃないわ」
 サクヤが言った。すでに内部が空洞でないことは解析済みだが、どうやら通常の邪神とは構造が違うらしく、それの解析に手間取っているのだ。どちらにせよ、一隻の艦がどうこうできる相手ではないことは確かだった。
「久々に、大きな戦争が起こりそうね」
 キリエが鋭い眼差しを向けたまま、言った。巨大な邪神はそれを中心にするように、たくさんの邪神や幽霊船、死に神などを集める傾向にある。巨大な邪神の姿は、ここ数ヶ月行われなかった艦隊戦、引いては『戦争』と表記されるべき大規模戦闘を想起させるに十分なものだった。
「――解析結果、出ました。え~と、えっ」
 シリンが言葉を詰まらせた。サクヤがそれを促す。
「報告は手短に!」
「はい、すいません。でも……解析結果が、以前タケミカヅチが収容された、八十禍津日教団の母船と一致しています。もしやこれは……」
「どう言うこと!?」
 クラが操縦席から振り返った。シリンに掴みかからんばかりの勢いだ。
「これは……おそらく、母船が邪神に乗っ取られたと言うことでは……」
 それを聞いた瞬間、クラがエンジンの出力を最大にし、突如邪神の方へ方向転換した。
「クラ!やめなさい!」
「嫌よ、アシリア様が、あの中に!」
「バカ、冷静になって!」
 取り押さえようと、サクヤとキリエが席を立った。それをトウキが制した。
「いいや、このまま突っ込むんだ」
「何を言ってるの、あなたまで!」
「おれは任務でここに来たって、言っただろ?それはあいつを倒すことさ」
 クラの隣の補助コンソールに足を投げ出し、靴の先でスクリーンの邪神を指す。とうてい本気とは思えなかったが、本気でなければあまりに馬鹿馬鹿しくてこんなことは言えないだろう。
「……冗談、でしょ?」
 恐る恐る、サクヤが確認した。トウキは不敵な笑みを崩さず、うなずいた。
「いいや。この船と、おれと、そしてシトゥリくんが居れば、あいつは倒せる。サクヤ、補助操縦席の鍵をくれ」
 サクヤはもう何も言わず、艦長席からカードキーを取り出し、トウキに投げてよこした。それを補助コンソールに差し込むと、コンソールの一部が開いてもう一つ操縦幹が現れた。
 ブリッジには静寂が広がっていた。どんどん拡大されていく邪神の姿だけが、スクリーンに広がっていく。トウキが立ち上がり、一同を見回した。
「おれが前にここに居た理由、3つほどあげてもらったな。だが最後にもう1つ、本当の役割があったんだ。それが、これさ」
 にやっ、と笑みを深くした瞬間、シリンが再び驚きの声を上げた。同時に艦内に、それと分かるほどの微振動を伴った低い唸りが響き渡り始めた。
「こ、これは!サブエンジンの析雷と伏雷が、起動を……ウソ。同時に、邇芸速水バリアと大葉刈バリアが展開されていきますっ!」
「あ、あんたの仕業なの?」
 クラが恐る恐るといった調子で、隣に立つ男を見上げた。トウキは答えず、席に座ると、操縦幹を握った。
「ちょっくら、派手なドライブと行くか。着いて来いよ、クラっ!」
「え、ええ……」
 主副逆であるかのように、クラがトウキの言葉にうなずく。それには気付かず、ふと思い出したように言った。
「なんだか、昔に戻ったみたいね」
 その言葉に、はっとサクヤとキリエが顔を見合わせた。全く同じ思いを感じていたのだろう。
「速度、第一戦速を突破!さらに加速中!」
 シリンが悲鳴に近い声で報告した。
「あり得ません、出力、計測器の上限を振り切っています!」
「シトゥリくん、よく見ておけ!これがタケミカヅチの本来の戦い方だ!」
 トウキが操縦幹を操りながら、叫んだ。
 スクリーンいっぱいに邪神が広がっていた。もし外からタケミカヅチを見れば、それは前方に光の剣を突き出し、輝く盾のような光に守られた、一本の槍のように見えただろう。そしてその槍は、彗星のような尾を引いて、邪神の中へ突入した。
 ブリッジ内は、慣性中和、重力制御装置に守られているにもかかわらず、激しく振動した。スクリーンは黒い邪神の内部しか映していない。クラが叫んだ。
「トウキ、敵は船なのよ!中に人が!」
「大丈夫だ、ここは邪神の部分だ!たぶんなっ!」
 突如スクリーンに星の煌きが戻った。邪神の内部を突破したのだ。大きく旋回しながら、タケミカヅチは再び邪神へ狙いを定めた。強烈な一撃を食らった邪神は、その数キロに渡る巨体をくねらせ、苦痛を現している。タケミカヅチが突き抜けた穴からは、そのどす黒い体色から想像できない、鮮やかな真紅の液体を撒き散らしていた。
 このまま行けば、本当に勝てるかもしれない。シトゥリは操縦幹を握るトウキの横顔を見つめた。何も出来ない自分と違い、トウキはやれることと、それをやりとげる自信に満ちていた。到底適わない。悔しさも覚えないほど、それを強く思う。
「サクヤ、もう一度突撃するぜ。構わないか?」
 トウキが確認を取った。サクヤは我に返ったように言った。
「え、ええ。お願いします」
「よーし、もういっちょ……」
「ふふふ……ふ」
 トウキの声に重なるように、場違いな笑い声がブリッジに響いた。どこか常軌を逸した感じのその笑いの主を探して、シトゥリは周りを見回した。
「うふふふ……きゃははははっ」
 声の主はシリンだった。目の焦点が合っていない。突然の狂態に、みんな呆然として掛ける言葉がなかった。その手が、手元のコンソールを素早く叩いた。
「うわっ!」
 突然、ブリッジの中から重力が消えて、シトゥリは座席から浮き上がった。それだけではない。シリンは艦の中のあらゆる装置をめちゃくちゃに作動させていった。ブレーキ用のバックブーストが作動し、タケミカヅチはガクンと方向を変えると、くるくるとスピンした。
「どうしたの、一体!シリンっ!」
 サクヤが叫び、緊急ロックを作動させてなんとかブリッジに重力が戻った。トウキとクラも絶妙のコンビネーションで艦の体勢を元に立て直した。シリンがぐったりした様子で座席の上に仰向けになっていた。
「しっかりして」
 サクヤが駆け寄り、シトゥリもそこへ向かった。シリンは口元から泡を吹いて、そして白目を剥くと絶叫した。
「ああああああああああああっ!」
 そのスカートの下から、びゅるっと触手が幾本も伸びた。
「邪神!?」
 叫んだサクヤの体に触手が巻き突き、先端が口の中へ突きこまれた。サクヤは体を硬直させ、目を見開いた。
「サクヤさん!」
 シトゥリは慌ててその触手を掴み、引き抜く。サクヤは激しくむせながら座り込んだ。
「くそっ、どうしてこんな時に!?まさか、先を読まれていたのか!」
 トウキがいらだったように叫んで、操縦席から離れた。痙攣しながら、なおも触手を吐くシリンを抑えようと駆け寄り、触手に足首を掴まれて転倒する。
「し、シトゥリくん!サクヤを連れて逃げてくれ!」
 トウキの言葉を聞いて、シトゥリの中に使命感の炎が燃え上がった。うなずくと、のたうつ触手をかわしてサクヤを立ち上がらせ、入り口へ向かった。
「ちょっと待って、ロックをはずしてからにして!うまく舵が取れないわ、このままじゃあの邪神の方へ――きゃぁっ!」
「ええい、この化け物!」
 舵を触手に奪われたクラの方へ、キリエが走っていった。それを尻目に、シトゥリはサクヤに肩を貸して廊下へ出た。
 どこへ向かえば安全だろう。シトゥリは艦内の地図を思い浮かべた。内部への侵入は想定されていないため、艦の構造は非常にシンプルだ。結局、居住区の部屋が安全な気がした。そこへサクヤを寝かせ、鍵をかけておけばいいだろう。シトゥリはブリッジへ戻って戦うつもりだった。
 サクヤの部屋の中に入ると、苦しそうにうつむいて喘いでいたサクヤは、ここまでで良い、と言った。
「ダメですよ、ちゃんと非常ロックをかけるまで安心できません」
 その瞬間、どぉぉぉん、と艦が揺れ、シトゥリとサクヤはベッドへ投げ出された。もしや、邪神へと突っ込んでしまったのか、と起き上がるシトゥリの手を、下からサクヤが引っ張った。
 驚いてサクヤの顔を見ると、その目は潤んで、頬は上気している。短く荒い息の下から、サクヤは細い声で言った。
「……触手、口の中に入れられたとき、何か飲んじゃったの……」
 それは狂うほどに性欲を高める、あの媚液だろうか。どう対処して良いかわからず、呆けてしまったシトゥリの手がさらに強く引かれ、シトゥリはサクヤの上に覆いかぶさった。
「ごめんなさい、シトゥリくん。熱くて、狂いそうなの。お願い……なんとかして?」
 サクヤの鼓動が、制服の上からでも聞こえる。それは狂おしい高まりを見せて、シトゥリの耳へ伝わった。ぎゅっとシトゥリの制服をサクヤの指が握り締めた。その感触に我に返って、シトゥリはそれをもぎ離した。
「だ、ダメです、サクヤさん!もし我慢できないなら、そう言うことはトウキさんとしてください!」
「……わたしのこと、嫌いなの?」
「好きです。大好きだから――」
 驚くほど自然に、その言葉が口を付いて出ていた。何を言ったか気付いた時には遅かった。サクヤが混濁した表情の中でも、驚きを見せていた。しばらく黙ったまま、見詰め合う。やがてサクヤが首を振った。
「……トウキのことは、言わないで。あいつに抱かれたくないの。昔に戻ってしまいそうで」
 媚液に犯されながらも、サクヤの口調は澄んでいた。シトゥリはその言葉に突発的な怒りを覚えた。口調を荒げて、噛みつく。
「じゃあ、なんでさっき、トウキさんと――」
「……知ってたの?」
 ごめんなさい、とシトゥリは謝った。サクヤはシトゥリを押しのけて起き上がった。まるで何事もないかのように、その瞳は冷たく輝いていた。
「わたしは、弱い女なのよ。甘い過去があったら、それがまがい物でも、偽りでも、ついすがり付いてしまう。……帰ってきて欲しくなんかなかった。トウキには……」
 述懐のような口調だった。シトゥリは、卑怯だと思った。悔しさが胸の中で荒れ狂っている。それはおそらく、未だサクヤがトウキを愛していると言う事実を思い知ったためだろう。
「だから、わたしを抱いて頂戴。忘れさせて、あの男を」
「いやです!トウキさんを呼んできます、待っててください」
 ブリッジが大変なことになっている事実も、サクヤが媚液の影響を受けている事実も半ば忘れて、シトゥリはむきになった口調で言い、起き上がろうとした。サクヤの体が、それを押さえつけた。
「ダメよ。イヤだって言うなら、無理やりにでもあなたを犯すわ」
 その言葉に、シトゥリの頭から背中にかけて、さーっと流れるように血液が引いていった。薄暗い部屋の中、氷のような瞳がシトゥリを見下ろしていた。ここにいるサクヤは、いつもの明るい笑みを浮かべるあの女性ではなかった。何か別のおそろしい生き物を相手にしていると本能が咄嗟にそう判断し、訳の分からないまでに恐怖を覚えたシトゥリは逃れようともがいたが、これも邪神の影響か、サクヤの腕はびくともしなかった。サクヤがシトゥリの両手首を片手で締め上げ、もう片手をその体へ這わせた。
「おとなしく言うことを聞くのよ。じゃないとあなたの細い首くらい、くびり切ってしまうかもしれないわ」
 それは間違いなく本気だった。氷柱を脳天から差し入れられた気がして、シトゥリは体を硬直させた。サクヤがシトゥリの制服のボタンを上から一つ一つはずし、そしてベルトに手をかけていった。その優しい動作が、握り締められた両手首の圧力とのギャップで、より恐ろしい行為のように感じられた。
 下半身が外気に露出された。そこでようやく、シトゥリは小さく言った。
「やめて……正気に返って下さい、サクヤさん」
「イヤ。ほら、あなたのだってイヤがってない」
 全く興奮も、その感覚も覚えていなかったが、目線を下に向けると、シトゥリのイチモツは隆々と立ち上がっていた。自分の体がそこだけ切り取られたかのような現象に、シトゥリは呆然とした。
「男なんてみんなそう。結局はここなのよ。あなただって……」
「イヤ……です。やめてくださいっ」
 シトゥリは悔しくて今度は泣きそうだった。自分はサクヤを愛している。決して体だけを求めているのではない。そう叫びたかった。同時に、それは今まで纏めたことのない、自分の心の吐露だった。
「まだ言うの」
 いらだった調子で、サクヤがシトゥリの竿を握った。強く握られすぎて、シトゥリは痛みに息を呑んだ。サクヤは徐々にそれを緩め、上下にさすっていく。口元には薄い笑みが浮かんでいた。
「……一度出しちゃおっか。そうしたらイヤだなんて言えないよね。気持ちよかったんだから」
「やめ……やめて」
 すでに、シトゥリはぞくぞくとしたものが下半身から駆け上がってくるのを感じていた。その感覚がまるで手に取って分かっているように、サクヤの手のひらは緩急をつけて、シトゥリのモノをしごいた。
自分の手よりも、サクヤの手の方がシトゥリのモノの特徴や、どういう風にさすって欲しいかをよく理解しているように思えた。波のように射精感が押し寄せ、シトゥリは歯を食いしばった。出そうになっているのがわかるのか、サクヤは薄い笑みを浮かべたまま、言った。
「あら、もう?……ふふ、でも気が変わったわ」
 シトゥリの両手を握っている手を離すと、サクヤはベッドサイドから髪を止めるゴムを取った。そしてそれをシトゥリのモノの根元へ、幾重にも巻きつける。一瞬何をされているか分からなかったが、根元を縛り付けられたイチモツは、血液の逆流もできず、針でつついたら裂けそうなほどパンパンになって立ち上がった。
 それを再びサクヤはしごき始めた。今度は両手で、上から撫で下ろすように何度も何度も撫で付ける。目を閉じると、まるで膣の中をどんどんと奥へ進んでいくような感覚だった。たまらず絶頂の感覚が突き上げたが、根元が縛り付けられているせいで精液は途中で止まり、出すことが出来ない。その苦悶に、シトゥリは大声を上げた。
「ううっ、あぁ!」
「苦しい?出したいでしょ」
 射精したいのに出来ない。地獄のような快楽と苦悶に、シトゥリは屈服した。夢中でうなずく。
「出させてっ!出させてえ!」
「じゃあわたしの質問に答えられたら、射精させてあげる。あなた、わたしの裸を見たんでしょ。どこが一番綺麗だった?」
「胸、胸です。サクヤさんの白くて大きな――ああっ」
 脊髄反射のように、シトゥリは答えていた。
「そう。みんなわたしのおっぱいが好きよね。目立たないように、普段は小さめのブラジャーを着けてるの。けっこう苦しいのよ、これって」
 サクヤは片手でジャケットを脱ぎ、シャツのボタンをはずして、それも脱ぎ捨てた。数時間前も見た紺のブラジャーに納められた胸は、目の前にすると、とても窮屈そうに肉をはみ出させていた。サクヤがフロントのホックをはずすと、開放されたことに悦ぶかのように、内部の圧力で胸が飛び出て揺れる。
シトゥリはそれを口を半開きにして見つめた。胸はサイズの合ってないブラジャーに歪められていたとは信じられないほど、丸く豊かな張りと形を持って自立していた。あるかないか分からないほど小さな乳輪と、その中央の突起が理想的な角度で宙を向いている。
「綺麗……です」
 さすられ続ける下半身の感覚も忘れて、シトゥリは見とれた。サクヤは見せ付けるように胸を揉んだ。
「これでどうされたいのかしら?」
「…………」
「ほら、それを言ったらご褒美に出させてあげる」
「あ……胸の谷間に、僕のを挟んで、ください」
「それから?」
「それから、何度も何度も、胸でこすって……ああ」
「よく言えたわね、いい子。いえ、いけない子ね。どこでそんなこと覚えたのかしら」
 サクヤがシトゥリの足からズボンを抜き取り、正座して腿の上に腰を乗せさせた。少しシトゥリは腰をあげると、それはちょうどサクヤの胸の谷間にイチモツが来る位置だった。サクヤこそ、どこでこんな体勢を覚えたのだろうか。そのエロティックさに、シトゥリのモノはまた射精しようとびくびく動いた。それをすくうような手つきで胸の中に挟みこみ、サクヤが上下にゆすり始めた。胸の肉とシトゥリの腰がぶつかりあって、ぱんぱんと音を立てた。
「ああーっ!う、うああ!」
 シトゥリは脊髄がたわむほど背を反らし、声を上げた。始まった快楽に、何も考えられなくなっていく。無意識の動きでシトゥリの手はシーツを握り締め、掻き回していた。サクヤの胸が上下するたびに、イチモツからは電流の束のような快感が背筋に流れ込み、それは脳髄で射精の欲求を爆発させたが、神経は通っても精子は根元で止まったまま、外へ出ることが出来なかった。
 そのジレンマに、シトゥリは狂いそうだった。
「だ、出させて、お願いですー!」
「どこに出したいか言いなさい」
「胸、胸、胸の中にぃ!」
 サクヤが根元を縛っていたゴムを、一気にはずし、そして震えるイチモツの先端を自分の乳首の上から胸の中にに埋め込んだ。その瞬間、はじけるようにシトゥリは射精した。陥没した胸の肉の間から、噴出するように白い液体が飛び散った。
 サクヤはすぐにそれをもう片方の乳首にあて、同じように押し付けると、ぐりぐりとこすりつけた。シトゥリは脳みそが真っ白になる感覚と、背筋が痙攣して止まらない感覚に翻弄されたまま、溜まりきった精液をサクヤの胸へぶちまけ続けた。
 やがてそれが収まると、シトゥリは反らしていた背をベッドへ落とし、ぐったりと脱力した。薄目を開けて見ると、サクヤの両乳首からは、まるで母乳を出したように白い液体が垂れ下がり、腹に向かってどろどろと筋を作っていた。サクヤがあの冷たく薄い笑みを浮かべたまま、シトゥリのイチモツを手に取った。びくびく脈打つそれはまだ力いっぱい充血していた。再び、サクヤがその根元にゴムを巻きつけ、言った。
「さあ、もう一度。次はわたしのあそこで狂って……」
 妖しい笑みで、サクヤがシトゥリの上に馬乗りになった。その恐怖と、脱力感から、サクヤの中へと挿入されていく感覚にあわせるように、シトゥリの意識はブラックアウトしていった。意識を失ったシトゥリを、サクヤはいつまでも犯し続けていた。

-chapter6- 背徳の男
 ブリッジ内は、氷を額に当てたサクヤを頂点に、ぴりぴりとした空気に包まれていた。キリエ、シリンはおろかクラまでがびくびくとサクヤの表情を伺いながら、自分の作業をしている。
あの後目が覚めたサクヤはシトゥリたちに大目玉を食らわせ、キリエたちの性的嗜好の異常さをののしった後、いたいけな少年であるシトゥリくんが可哀想と泣き始め、次は愛について神父のように語りだした挙句、休日は取り消しとなった。そして今、日曜だったにもかかわらずブリッジに全員が詰めている。
「あ、あの、サクヤさん」
 パネルを叩いていたシリンが、恐る恐る言った。じろり、とサクヤが視線を向ける。
「何?」
 その眼差しに身をすくめつつ、シリンが続けた。
「うう……エンジンルームに微反応があります。検出は3分前です」
「なんで早く言わないの。3分間何してたか言いなさい」
 シリンは口ごもった後、サクヤさんに声をかける心の準備をしてました、と言った。ため息をつき、サクヤが指示を出した。
「シトゥリくん、一応行って見てきてくれる?」
「はい、わかりました」
 ブリッジのこの空気から開放されるためなら、一生エンジンルームに住んでもいいと思った。シトゥリは二つ返事で立ち上がり、エンジンルームへ向かった。
 全長300メートルのタケミカヅチのほとんどが、バリアとエンジンのために使用されている。従来、艦の大半を占めていたような機関は、すべてが言霊機関によって肩代わりされていた。しかもバリア、エンジンともに3基あり、通常の航行では1基しか使用されていないと言うのだから、壮大な無駄のようにも思える。
 エンジンは艦の心臓だ。もっとも最深部にエンジンルームはあった。しばらくのんびりしていくつもりで、シトゥリはゆっくり巨大なその中へ入っていった。
 巨鳥の卵のようにも見えるメインエンジンが、低い唸りを上げている。それを挟んで左右に黒い、不思議な形をしたエンジンが鎮座していた。その名前を思い出そうとして思い出せず、シトゥリは呟いた。
「サブエンジンの……名前はなんてったかな」
「『析雷(さくいかづち)』と『伏雷(ふすいかづち)』さ」
 まさか、独り言に答えがあろうとは。シトゥリは驚いて声の方向を振り向いた。シトゥリの右へ少し行った柵にもたれ、一人の男がエンジンを見つめていた。
「邇芸速水、大葉刈、析雷、伏雷、この4つが同時に稼動した時、タケミカヅチはその真の姿を現すことになる」
「だ、誰?」
「密航者だよ、少年」
 男は顔をシトゥリに向け、唇を上げた。どこか皮肉っぽいながら、ダンディズムのある微笑だ。密航者と言った割に、着ている服はシトゥリと同じ連邦艦隊のブラウンに近いダークレッドのジャケットである。歳はサクヤたちより少し上程度に思えたが、顎に伸びた不精鬚のせいか、下がり気味のまなじりのせいか、歳以上にくたびれた印象があった。髪はキリエと同じ輝くような銀髪。それをバサッと言った感じで切っていた。
シトゥリはどうしていいかわからず、混乱してもう一度同じことを訊いていた。
「え~と、どなたですか?」
「名前はトウキ=ラシャ。よろしくな、シトゥリくん」
「え?何で僕の名前を」
「君はもう少し、自分の運命について興味を持った方がいいと思うよ」
 トウキと名乗った男は、渋い声でそう言うと、シトゥリの隣まで歩いてきて片手を差し出した。とりあえず敵ではないと判断し、シトゥリは握り返した。思ったより大きくて厚い手のひらだ。シトゥリとは二十センチほど身長が違うだろう。顔を見るためには見上げねばならなかった。
「でもいつ、ここへ?」
 それは当然の疑問だ。宇宙空間を泳いで乗り込むなど出来はしない。
「前に君たちが補給を受けたときさ。もうすぐ2週間になるか?正直、さっさと見つけて欲しかったな。こっちが合図を出さなくてもいいように、もう少し警備を強化すべきだ」
 2週間、ここに隠れて居たと言うのか。トウキは肩をすくめ、ブリッジに行こうか、と歩き始めた。シトゥリは慌ててその後を追う。
「なんで隠れたりしてたんですか、トウキさん。今になって出てくるなんて変ですよ」
 トウキに危険はないと言うのはわかるのだが、その掴み所の無い雰囲気のせいか信用は出来ない。悪びれた風もなく、トウキは返した。
「タイミングってやつさ。やっと辞令が出てね」
 それきり黙って、2人はブリッジの入り口にたどり着いた。先に行ってくれ、とトウキはシトゥリの背を押した。シトゥリはなんて報告しよう、と戸惑いながらブリッジに足を踏み入れた。それに気づいたサクヤが、振り返って言った。
「おかえり。どうだった?」
「え~っと、……なんと言うか、その、侵入者でした」
「侵入者!?」
 サクヤが叫んで立ち上がる。シトゥリの後ろから、ぼりぼり頭を掻きながら、トウキが言った。
「あ~、もう。もっとカッコいい紹介の仕方は出来ないのかぁ?」
「その声は――」
 そこで、トウキは姿を現した。壁に片手を突き、もう片手を軽く上げる。
「や。みなさん、お久しぶり」



「帰って!出てって!この裏切り者!」
 サクヤの放った第一声はそれだった。手近にもし枕でもあれば、投げつけかねない勢いだ。予想していたのか、トウキは人を食ったようにもみえる微笑を深めただけで、動じない。胸元からカード型の電子装置を取り出し、それをかざしてみせる。
「連邦軍からの辞令だ。本日午後3時付けで、おれはタケミカヅチの副操舵手に配属された。帰れと言われても帰れないぜ」
「そんな、ウソ」
 サクヤが呆然と言った。キリエとクラは苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「ってなわけで、またよろしくな」
 片目を瞑ると、トウキは1つ空いているコンソールに向かい、勝手に腰掛けた。シトゥリはなんだか取り残されたような気分を味わいながら、自分の席へ戻った。隣のクラへ囁き気味に訊ねる。
「……よかったら、説明してくれませんか?」
「……実は1年前まで、あの男がこの艦に乗っていたの。操舵手としてね。あたしがその補佐だったわ。でも実のところは、諜報部の監視役だったの。恋人だったサクヤ、いとこのキリエを裏切ってね」
「――!!」
「あの男がここに居た理由は3つ。暗殺部隊を辞めたキリエにも、諜報部を首になった私にも、監視が必要だった。もう1つは、サクヤに近づくためだったらしいけど、そこの詳しいところは分からないわ。最後の1つは――」
「キリエを殺すためだよ、シトゥリくん」
 聞こえていたらしい。さらっととんでもないことを、トウキは言った。
「親代わりだった師匠を、キリエは殺したんだからな。でもまあ、今回はそれは置いておく。任務があるんでね」
 シトゥリはキリエに視線を向けた。それに気づいたキリエが目をそらした。
 どう言うことだ。キリエが人を、しかも親代わりだった人間を殺した?
 それを最後に、ブリッジは死んだような沈黙を漂わせ、終業まで口を開く者は居なかった。時折トウキの方へ視線をやると、コンソールは使わず自前の小型コンピューターをなにやらいじくっていた。その横顔はどこまでも不敵に見えた。
 急に元気のなくなったサクヤが夜勤を申し出、一同は終業時刻を迎えると解散した。トウキはシトゥリの横の、物置になっている部屋に入っていった。元自分の部屋だったそうだ。深夜になっても、シトゥリは眠れなかった。思っている以上に、トウキの存在と、過去の話はシトゥリに動揺を与えていた。
 ベッドから起き上がると、シトゥリは決心して部屋を出た。トウキに話を聞かない限り、眠れそうに無かった。ガウンを羽織り、その部屋の前に行くと、インターフォンを押した。
 しかし、返事は無かった。もう眠ってしまったのだろう。悶々とした気分を持て余して、シトゥリはブリッジへ向かった。夜勤のサクヤと、少し話をしようと思った。
「ん……。やめて、よ。んくっ」
 入り口近くまで来たとき、中から抑えた声が聞こえてきて、シトゥリは足を止めた。跳ねるように高まった心臓を思わず手で押さえ、そっと中を覗く。
「そんなこと言っても、君の肌は燃えるように熱いぜ?」
 後ろからトウキがサクヤに抱きついていた。左手は顎を固定し、右手は制服の隙間を巧妙に縫って胸元へ差し入れられている。顎を後ろに向けさせ、トウキはサクヤの唇を吸った。抵抗していたサクヤの手が、徐々におとなしくなっていく。絡み合った唇が離れ、サクヤが擦れた声で言った。
「……ひどい男」
「最低な、の間違いじゃないのか?サクヤ。おれは君を利用するために近づいて、そして捨てたんだ」
 相変わらず、トウキの口元にはあの笑みが浮かんでいる。それはシトゥリをひどくいらだたせた。
「本当は分かってたわ。あなたが、わたしにある何かを得ようとして、近付いてきたことは。そして、本当に愛してくれたことも分かってた。……でも何故?どうして、あの時――」
「おれは逃げたんだ」
 一瞬、トウキから笑みが消えた。
「自分の運命から。君の運命からも。だが今回は違う。全ての清算をするため、ここへ戻ってきた。許してくれとは言わないよ、サクヤ。だが理解してくれ」
 その目を見つめ、そしてサクヤは睫毛を伏せた。
「……あなたは変わってないわ。そうやっていつも、わたしの心を掻き乱すのね」
「――君は変わったよ。また少し、女らしくなった」
 トウキの右手がサクヤの胸の中で動き、熱い吐息をサクヤに吐かせた。トウキが舌を首筋に這わせると、サクヤは指を震わせて喘いだ。
「……は……」
 トウキはサクヤの体を反転させると、艦長席のコンソールに押し付けた。鮮やかな手つきで制服のボタンをはずし、その下のシャツもはだけさせて、ブラジャーを露出させた。
「……相変わらず、綺麗な胸だ」
 サクヤの双球は丸く豊かな張りを紺のブラジャーに包んで、桜色に上気していた。その谷間にトウキは顔を埋め、パチン、と歯でブラジャーをはずした。フロントホックだったそれは、桃が割れるように左右に開き、中の果実を晒けだした。
「もう少し、大き目のカップを付けたらどうだい?収まりきってないように見えるぜ」
「バカ、ほっといてよ。あっ」
 その頂点にある突起をトウキが口に含んだ。それを数度転がされただけで、サクヤは観念したように薄く目を閉じ、コンソールの上に横たわった。亜麻色の髪がさらりと流れ、流砂のようにコンソールの縁からたぎり落ちていく。
 2人はもう何もしゃべらなかった。次は何をしたらいいか、お互いにそのタイミングまで知り尽くしているようだった。十分にサクヤの乳首を味わったトウキは、コンソール・チェアに腰掛け、ズボンのジッパーを下げた。その前にひざまずいたサクヤが、自らその中へ手を入れ、固く猛ったものを取り出し、霞みがかった目で少し眺めてから、口に含んだ。
 あのサクヤが男の股に潜り込み、股間をしゃぶっている。それは普段の凛とした顔つきからは想像も出来ないことだった。だが、シトゥリは昂ぶりを覚えることは無かった。逆に、大事にしていたものがなくなってしまったような、悲しみに近い感情が心を波立たせていた。
 しばらくするとトウキは立ち上がり、再びコンソールの上にサクヤの体を乗せた。今度はコンソールに腰掛けさせるようにし、手早くスカートの中身を足から抜き去る。サクヤはコンソールに座って後ろに両手を付いて支えにし、されるがままに足を開いた。そのスカートの中に、トウキが顔を埋めた。ああ、と呻いて、サクヤは太腿でその顔を挟み込み、天を仰いだ。足からパンプスが抜け落ち、からりと床を転がった。
 耐えられなくなって、シトゥリは視線をはずし、入り口の壁に背を預けた。ヂー、と言う常夜灯の明かりが放つ音がひどく耳につく。
心臓が鼓動を打つたび、絞られるように痛んだ。やがてブリッジの中からは、服が擦れ合う音と、サクヤのため息のような喘ぎが低く流れてきた。それを聞きながら、熱くて、苦しくて、締め付けられるようなこの感情はなんだろうと考えた。
 それが嫉妬であることに、シトゥリはついに気付かなかった。




 ブリッジからなんの音もしなくなって、しばらく囁くような会話が聞こえた後、足音がシトゥリの居る入り口へと向かってきたが、シトゥリはそこを動く気にはならなかった。一応普通に歩いて来たのでは気付かない死角に立っていたが、やってきたトウキはぴたりとその前で足を止めた。
「……おれに訊きたいことがあるんだろ?」
 前方を見据えたまま、シトゥリの方に視線は向けていない。最初からここに居ることを知っていたのだ。シトゥリは小さく、はい、と言った。
「なら、君の部屋にお邪魔してもいいかな。マイルームはまだ倉庫なもんでね」
 サクヤに聞こえないように低く言ったトウキが、確認も取らずに歩き出した。シトゥリはその後を、逆に案内されるようについていった。
 シトゥリの部屋に入ると、トウキはまるで自分の部屋であるかのように、ベッドに腰掛けた。シトゥリは椅子を引いてきて、その前に座る。それと同時に、トウキが口を開いた。
「で、シトゥリくん。君はサクヤが好きなのか?」
「えっ!?」
 突然そんなことを訊かれ、シトゥリは完全に出鼻をくじかれて焦った。好きか嫌いかの2択なら、間違いなく好きだが、トウキはそんな意味で聞いたのではないだろう。
「愛してるか、ってことさ。どうだい」
「わか……わかりません……」
 考えてみたが、本当に分からなかった。心の中は昼間から続く出来事に乱れていて、そこを覗いてみて何かを得ようとするのは、ほとんど不可能だった。トウキはうなずき、両手を組み合わせ、開いた膝の上において身をかがめた。口元に、あの微笑は無い。真剣な顔つきのトウキは、表情一つでこれだけ違うのかと思うほど、男前に見えた。
「そうか。君はまだ、恋愛をしたことがないんだな。他人からこんなことを言われるのは釈然としないかもしれないが、君はきっと、サクヤを愛しているよ。おれもまた、彼女を愛している。だから、わかるのさ」
 愛している。サクヤを愛している。
 それは自分自身、にわかに信じられないことだった。思えばブリッジの中、ぼーっとしている自分に気付くと、サクヤを見つめていた。てきぱきと動くその姿を見ていると、自然と幸せになれた。
 それは憧れのせいだと思っていた。サクヤはその優秀さからだけでなく、美貌でも一躍世を湧かせた存在だ。女性雑誌だけでなく、グラビア誌でも特集が組まれたことすらある。船に乗ることに憧れていたシトゥリにとって、その存在は神話のように頭の中へ刻み込まれていた。
 そのせい。そのせいだ。だが、本当にそうだっただろうか?
 トウキの言うとおり、恋と言うものをシトゥリはしたことがなかった。だから人を好きになると言う感情がどのようなものか、わからなかった。これがもし、愛という感情だったら。シトゥリの心臓は、急に早く打ち始めた。
 おそらく呆然とした表情をしていたのだろう。トウキが苦笑すると、言った。
「気付いてなかったんだな。よし、じゃあこうしよう。君とおれは、ライバルだ。恋敵と書く。どちらがサクヤのハートを射止められるか、勝負しようじゃないか」
「そんな、無理ですよ」
 思わずシトゥリは笑った。昔の恋人で、今も体を許す存在である男に、太刀打ちできるわけが無いからだ。だがトウキは、いつもの微笑を口元に戻すと、肩をすくめた。
「まだ、よりを戻したわけじゃないさ。君にだってチャンスはあるぞ」
 不思議な男だった。シトゥリは初めて、トウキを少し好きになれた気がした。苦笑して、言う。
「わかりました。じゃあ真剣勝負、恨みっこなしですよ」
「ああ、約束だ。男と男の、な」
 シトゥリとトウキは拳を打ち合わせ、誓った。トウキが立ち上がって、言った。
「ところでライバルよ、おれは風呂に入りたい。記念に一緒にどうだ?君が訊きたかったことは、そこで聞くよ。明日もあることだしな」
 時計は午前3時を指そうとしていた。シトゥリはもう風呂に入っていたが、うなずいた。
 浴場は居住区の階段を下りた先にある。男女の別はないが、サウナまで付いた本格的なものだ。4,5人で入っても大丈夫なくらい浴槽にはゆとりがあったし、体を洗う洗い場も数人分ある。
 脱衣所で服を脱ぎ、トウキがのしのしと浴槽へ向かっていった。シトゥリも裸になってその後を追う。湯はエンジンの余熱で沸かしているため、24時間いつでも入ることができた。
「正直、今の君ではおれに勝ち目は無いが――」
 浴槽につかり、トウキがやや憮然と言った。シトゥリは少し離れたところで湯に入る。
「ただ一箇所、おれは負けているようだ」
 目線を下げ、シトゥリの股間に目をやる。それに気付いたシトゥリは赤くなってタオルを腰に当てた。こんなところだけ勝ってもうれしくもなんともない。おれだって小さくはないんだぞ、とトウキがぼやいた。
「で、結局何が訊きたかったんだ。サクヤのことはこれ以上話すことはない。諜報部のことなら、あの2人はすでに監視対象外になっている」
「キリエさんのことです」
 シトゥリは言った。トウキの顔に再び真剣な表情が宿る。
「親代わりの人を殺したって、本当なんですか?」
「……ああ」
 うなずく瞬間、トウキの目はまるで別物のように恐ろしい光を帯びた。
「諜報部で知ったよ。おれとキリエは、孤児だった。それぞれの才能を見抜き、孤児院から拾ってくれた人が、師匠だった。あの人がなかったら今のおれたちはあり得ない。思えば――」
 と、トウキは過去を思い返すように、浴場の天井を見上げた。
「あの人は、いずれ自分の役に立つと思っておれたちを拾ったんだろう。連邦の暗殺組織の師範役だったあの人は、実はテロリストだったんだ。だから、訓練を終了したキリエに与えられた、組織からの最初の任務は、その師匠を暗殺することだった。組織は既に知っていたんだ。おれは師匠の死を探るうちに、その指令書の存在に行き着いた」
「……そのお師匠さんは、どうなったんですか」
 何かの間違いだったらいい。そう期待を込めて、シトゥリは訊いた。
「……指令書が発行された日付の翌日、道場ごと爆破されて死んだよ」
「…………」
「キリエは正しかったんだと思う。死後発見された師匠の計画は、連邦を転覆させる危険なものだった。だが、おれは許すことが出来ない。師匠を殺した奴を見つけ出し、おれが殺してやる。師匠の死を知ったとき、そう誓ったんだ。その犯人がたまたま、キリエだった。だからあいつを殺さなくてはならない」
 淡々としゃべるトウキの口調は、どこか疲れているようだった。もう何度となく自分の中で繰り返した言葉だったのだろう。今まで隙がないほど理論的なことばかり言う男だと思っていたが、これにはどこか論理を欠いた部分がある気がした。だがそれをもし見つけたとしても、シトゥリに何か言える訳がなかった。
「感想は?」
 妙なことをトウキが訊いてきた。シトゥリは感じたことを言った。
「哀しい、と思いました」
「そうか。その通りだな」
 トウキの呟きは、低く湯船の底へと沈んでいった。じっと水面を見据えるそのまなざしは、見るものが痛みを感じるほどの孤独と、寂寥が滲み出ていた。思わずシトゥリは、慰めのような言葉をかようと口を開きかけた。
 その時、低いサイレン音が艦内に響き渡った。非常召集の合図だ。反射的に湯を蹴って立ち上がったシトゥリは、サクヤのアナウンスを聞いた。
『邪神の接近を確認!敵クラスA+と見られる!各乗員は至急戦闘配置へ付け!』
「トウキさん!?」
「……任務開始、だな。行こう、シトゥリくん。おれが神の剣の使い方を教えてやろう」
 不思議なことを言い、トウキが湯船からあがった。その横顔に、さっきの面影はない。
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